『口数の少ない子どもから、会話を引き出すこつ』

母親と伸治の「会話」に注目

伸治は、みんなから孤立しがちの生活が長くつづいていた。気に入らないことがあると、すぐに乱暴をはたらく。みんなの和を乱して、自分の勝手な行動をとるなど。孤立せざるを得ないことは、あげれば山のようにでてくる。そんな状況は十分に承知したうえで、カウンセラーは伸治の家での会話、とくに母親との会話に注目していた。

「どんな話題なら、よくしゃべりますか?」「いつ頃が一番しゃべっていますか?」「誰といるときが、しゃべりやすそうですか?」「伸治君がしゃべりやすい工夫はしていますか?」など、こまかい質問を投げかけていく。しかし母親はなかなか答えられない。「あの子、ほとんどしゃべりませんので」と、つまったような答えしか返ってこない。「これでは話さない子どもから、しゃべりを引き出すのはむつかしな」と、カウンセラーは思った。当センターで研究開発した『口数の少ない子どもから、会話を引き出すこつ』を中心に、カウンセリングを進める必要がある。そして母親に一つの課題をだした。「次回の面接までに、息子さんとの会話を書き留めてきてください。明日から一週間分でいいですから」。

会話を書き留めるという課題をを出すことがある。これは母親にとってたいへんな時間と労力を要するので、時間限定、場面限定でだすことがある。しかしこの一作業は、カウンセリング治療において、とても大事なプロセスとなる。

関心のない話題では、しっかりと聞けていない母親

記録をみていくと、いくつかの点で母親の対応が不十分であることがわかる。さきさきと話題をとってしまったり、伸治が話しかけていたのに親が自分の意見を言って、話す気がなくなってしまった点もある。そのなかで一番実行しやすいポイントを選んで、カウンセラーはアドバイスを出すことにした。

カウンセラー:お母さん、この一週間のあいだですが、話し方のくせがよくでていますね。おわかりですか?ほら、ここです。

母親:え、くせ、私に話し方のくせがあるんですか?(のぞきこむ)はー、ここが、ですか。

カウンセラー:伸治君がテレビ番組の話をしていますでしょう。グループ・サウンズの歌が好きなんですか?

母親:はい、なんか歌番組をようみてます。私は、聞いてもわからなくて。

カウンセラー:伸治君のお気に入りのグループの名前は?お母さん言えますか?

母親:えー、なんだったかな。ワーワーゆうてますけど、えーっと「デンシレンジ?」やったかな。

カウンセラー:そんなくらいの知識や返事では、伸治君、怒りませんか?

母親:いつも怒られてます。「おかん、なにゆうても僕の話覚えてないんか」、ゆうて。

カウンセラー:あのね、「デンシレンジ」ではなくて「オレンジレンジ」ってゆうんですよ。「ケツメイシ」っていうグループも今人気ありますね。そんなこと伸治君、言ってませんか?

母親:ゆうてます、ゆうてます。なんとか石って。ようご存知ですね。

カウンセラー:これからはお母さんに、しっかりと覚えていただかなくては。伸治君が興味のあること、好きなこと、得意なこと、こんなことには、お母さんが苦手なことでも正確に言えるように覚えて下さい。伸治君の会話を引き出すとても大切なこつなんですよ。はい、紙に書いてみて。

母親は帰りの電車のなかで書き留めた「オレンジレンジ」と「ケツメイシ」の紙をみながら、なんどか口にだして言ってみた。「今日の夕方は、ぜったいまちがえないで、二つのグループサウンズの名前を言ってみるぞ」。なんか気はずかしい感じがするが、こんな簡単なことで、息子をひきこもりの生活から引き出せる糸口になるのなら、頑張ろう。いつになく母親の心は軽くなっていた。

得意なことでは、生き生きとしゃべる伸治

『口数の少ないこどもから、会話をひきだすこつ』のトレーニングは引き続き行われた。なかなかしゃべりが続かないのが普通だが、三ヶ月もたつと変化が見られ出した。

伸治も最近ではけっこう部屋から出てきて、家族といっしょにテレビをみたり、音楽聞いたりすることが多くなっている。それでも父親がいると、たいていは父親が中心になってしゃべって、伸治はほとんどしゃべらない。「なあ、伸治、この人どない思う?」と聞いても、「うー、えんちがう」と、気のない返事しか返ってこない。「伸治はいつもしゃべらないし、自分の意見を言ったりしない子や」という認識が、家族全員にあった。自分から口を開くときは、たいてい怒っている。ぐずったり、イライラをぶつけてきたりするので、みんな「さわらぬ神にたたりなし、や」と、避けぎみである。まだまだ母親以外の家族との会話はむつかしそうである。

しかし母親はちがう。トレーニングを受けてから、だんだん対応のこつがわかってきた。話題を選んだり、あいづちをじょうずにうったりして、伸治もかなり話しをづつけるようになってきた。母親と伸治の会話のひとこまをここに紹介しよう。

母親:伸ちゃん、このドラマまたやってるんやね。おもしろそうやね。

伸治:そうや。これ『電車・おんな』ゆんやで。この前もお母さん、おんなじこと聞いてたやないか。忘れたんか。(伸治はあきれたような顔で言う)

母親:忘れっぽいな。お母さんはアホやわ。(わざと自分を卑下してみる。伸治が話を続けやすくするためである)

伸治:ほんまアホやな、お母さんは。一回ゆうてもすぐに忘れるんやもんな。ほんまアホや。(伸治はけっこう嬉しそうにくり返す。話しやすそうなふんいきになってきた)

母親:もう一回教えてくれへんか。なんやゆうてたやんか、あれ。(母親は画面を指さしながら、水をむける)

伸治:ああ、ええよ。この番組はな、関西で放送してるんやけどな、つくってるは東京なんやで。テレビ局系列ゆんがあってな。そんなことも知らんなんて。こないだびっくりしたわ。あんなこの番組は東京の「○○テレビ」でつくってるんや。製作から脚本から撮影まで。俳優さんも、ほとんど東京の人なんや。ほんでなこれは・・・。

母親:うん、うん、なるほど。へー、そうなんか。(タイミングよく相づちをうつ)

伸治:あんな、朝日系列は、関西では○○になるんやで。日経はXXでな。だから新聞の内容や主旨、会社のポリシーもみんなある程度一致してんねん。そんなんおもてドラマなんかみたことないやろ、お母さんら。・・・・

しゃべる、しゃべる。もし書き留めたら、20行くらいになったかもしれない。こんなに伸治がしゃべったのははじめてだった。

気持ちよくしゃべらせてあげましょう

次回の面接で、母親はこの時の様子をカウンセラーに報告した。

母親:しゃべるしゃべる、伸治がこんなにしゃべるとは思いませんでした。ちょっと得意な話題がでてくるように、水をむけてやっただけなんですが。

カウンセラー:そうですか、新しい発見がありましたね。お母さんの対応もよかったですよ。トレーニングの成果がでてきましたね。あとで伸治君は、なんか言っておられましたか。

母親:はい、『思いっきりしゃべったら、スッキリした』って言ってました。

カウンセラー:それはいい。それがなによりの言葉です。気持ちよくしゃべらせてあげましょう。お母さんも楽しんで聞いてあげてくださいね。「えー、よう知ってるな。あんたの話し聞いてたら、楽しいわ。もっと聞かして」というふうにね。

母親:はい、わかりました。こんな機嫌のいい話しやったら、なんぼでも聞いてやれます。

なかなかしっかりした自分の意見をもっている。今まで人に話すということがなかったから、誰もわからなかったのかもしれない。こうした「気持ちのいいしゃべり」が重なると、不機嫌でも不機嫌なりにうまく処理できるようになる。そんなマイナス感情のコントロールができるようになると、人との対応にも自信がでてくる。

油断大敵、不安や不機嫌の波はまだまだあります

やっと母親も伸治君がどんどん乗ってしゃべりだす時はどんなときか、どんな話題かなどがわかってきた。話し方にも勢いがついてきたという。しかし気をつけなくてはいけない。まだまだ調子のいい時と悪いときの差が、はげしいときだ。しゃべりだしたらまた今までとはちがった不安にもかかりやすい。「不安になりやすいんやな、僕は。それがオレの欠点やな」といって、客観的に自分を見れるようになれれば進歩したと言えるだろう。しかしそこにはまだまだ道のりがある。

何がひっかかるかわからない。とつぜん、機嫌わるくなる。だんだん会話がのびたり,内容が豊富になったり、説明の順序がうまくなったりとか。わかりやすいな、やりやすくなったなとか。少しづつ伸びていっていれば、心配はない。

2019.04.17  著者:《大阪府豊中市 淀屋橋心理療法センター》福田俊一

               

記事内容の監修医師

淀屋橋心理療法センターの所長 福田 俊一

淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一

  • 医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
  • 日本の実践的家族療法の草分け的存在。
  • 初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
  • その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
  • 著書多数。

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