1.リストカット(自傷行為)治療の一年後「うそのようです。こんな安堵の日がくるなんて」

手首を切った。「楽になりたい」と、言って。寝る前は親がいつも包丁やナイフは隠して寝ていたのに、いつのまにか、持ち出していた。「つらいとき、自分を傷つけることでしか乗り越えられないの」と、裕子は言っていた。

一年前は、リストカット(自傷行為)におびえていた毎日

母親から緊急の電話が入ったのはちょうど一年前のことだった。「先生、たいへんです。裕子がまた手首を切りました。朝起こしにいったら、部屋じゅうに血のついたティシューがちらばってて。ふとんの中でうずくまってたんです。すぐにお父さんを呼んでみたら、ふとんも血だらけで。救急車で病院に運びました。10針も縫って。もうわたしら生きた心地しません」。

緊急面接が持たれたのは、その日の午後。カウンセリングの予約で予定はつまっていたが、なんとか時間をあけることができた。時間きっかりに母親と父親が青ざめた顔でやってきた。「睡眠薬飲んで切ったみたいなんです。ベッドのまわりに空になった薬の包み紙がちらばってました。そういえば三日まえに、『お母さん、知ってる?自殺する人は恐いから睡眠薬買うねんで』って話してました。それがサインだったんだって、今になって気がつきます。本当に私がうかつで。もっとはやく気づいていれば、こんなことせずにすんだのに。先生、私が悪いんです」と、母親は話しながら泣いていた。

カウンセリングでは動揺している母親の気持ちをしっかりとうけとめ、落ち着かせる方向に持っていった。リストカット(自傷行為)はくり返すことが多いので、対応はなかなか難しいからと具体的なアドバイスをだした。

一年後、うそのように良くなった裕子

カウンセリングをスタートしてから一年あまりがたった。最近では少々荒れることはあってもリストカット(自傷行為)をするまでにはいたらなくなっている。母親は当時を振り返って「あのころは、いつリストカットをするかという恐怖におびやかされ、生きた心地がしない毎日でした」と話している。「ほんとに信じられません。こんな安堵の日がくるなんて。うそのようです」と。

「裕子さんのどこが変わってきましたか」という質問に母親は、書き留めたメモを見ながら話し始めた。

1.「いやなことは、我慢してつづけなくてもええんや」と割り切れだした

大学で所属している郷土史研究会。入部したときは目あたらしいことばかりで面白かったが、だんだんといやになってきた。いままではそれでも「部長に悪いから」とか「頼まれた調査を途中でほっぽりだすなんて、できない」とかいって、我慢を重ねていた。それをすっぱりとやめてしまった。「いやなことは、いやなこと。がまんせんでもええんや」と、割り切れるようになった。

2.「したくないことは、いや」とはっきり言えるようになった

いままでは相手に気をつかって「いや」と言えなかった。友だちに「映画みにいかへん?」とさそわれて、ちょっとしんどいなーと思っても「ああ、ええよ」とあわせていた。帰ってきてからがたいへん。母親にあたりまくって「そんなにいやだったら、なんで行きたくないっていわへんかったん」と、母親も怒鳴りかえしたことがあった。最近はそんなことがなくなり「いややったから、いややって言うたんや」と平気な顔をしている。

3.「気分の切り替えが早くなった」

気に入らないことがあると、一週間くらいうじうじしていた。「お父さんがああ言うた。お母さんがこうやった」というふうに、聞くだけでうんざりしていた。それが「あ、そうか、まあええわ。そんなこともあるやろな」と、二時間くらいですぱっと切り替えられるようになった。

母親の読み上げるメモ用紙には、他にもいっぱいいろんなことが書いてあるようだ。「うーん、すごいなー。ものすごい変化ですね。自分のことがだいぶ見えてきましたね」とカウンセラーは、びっくりしたように言った。

「こんな安堵できる日がくるまで、二十年かかると思っていました」

裕子が自分の言いたいことがしっかりと言えだし、やりたいことができだしてから、大荒れすることはなくなった。あれだけ心配したリストカット(自傷行為)も、今はまったくと言っていいほどしなくなっている。「お母さん、こんな所に包丁おきっぱなしにしたらあかんよ。あぶないやんか。ちゃんとしもとかんと」と、子どもから注意されるくらいだと、母親は笑いながら話していた。

「先生、去年のいまごろですか、まだまだ手首切ったりしてたいへんなときに、『あと一年しんぼうして下さい。きっと変わってこられますよ』といわれましたね。私、正直いって『えー、こんなたいへんなのに、一年で落ち着くなんて。二十年はかかるんちがうかな』と思ってたんです。それがほんまに先生の言われるようになってきて。もうどんなに感謝していいかわかりません。ありがとうございました」と、母親は心からうれしそうに話した。

「いやいや、いままでのカウンセリングは足場がためみたいなもんです。油断は禁物ですよ。これからのカウンセリングで、子どもを伸ばしていきましょう。まだまだぐんぐん伸びていかれます」と、カウンセラーはすこし引き締めの言葉をかけておいた。

症状を克服、良くなった姿

2019.04.17  著者:《大阪府豊中市 淀屋橋心理療法センター》福田俊一

               

記事内容の監修医師

淀屋橋心理療法センターの所長 福田 俊一

淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一

  • 医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
  • 日本の実践的家族療法の草分け的存在。
  • 初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
  • その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
  • 著書多数。

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