摂食障害(過食嘔吐)がもとで、不登校からひきこもりになった多美さん
多美さんは高校3年生。高1のときに過食嘔吐を発症して3年目になります。もともと不登校ぎみだったのですが、この春3年生に進級したとき、一週間登校しただけでとうとう学校に行けなくなってしまいました(不登校)。
「いったいなに考えてるんや。入試受けんならん学年やのに過食嘔吐して不登校やなんて!」という父親の怒鳴り声に、多美さんはこわがって自室にひきこもりがちになってしまいました。父親の怒りは、今度は母親に矛先がむいて「おまえの育て方が悪いから、多美はこうなったんや。わがままいっぱいに育てるからや」と母親を責めます。そんな両親をみて多美は「お父さん、お母さんを悪く言うのはやめて。私が悪いんやから」と、母親をかばいました。
小さい頃から「多美ちゃんは、親思いのいいお子さんですね」と、言われてきました。それによそ様からは「皆さん仲のいいご家庭で、うらやましいです」と、言われてきたのにいったいどうなってしまったのか。「多美が過食嘔吐になってからは、もう家のなかは親子げんかばかりや。なんでこんなことに」と、母親は涙がでてしかたありませんでした。
「一番克服してほしいのは過食嘔吐です。けど・・」と母親
困った母親は担任の先生に「過食嘔吐の克服」について相談し、淀屋橋心理療法センターのカウンセリング治療を受けることになりました。「今学期、登校はむりやと思います。それより部屋にひきこもらず、私らと一緒にご飯食べたりテレビみたりするようになってほしいんです」と、母親は要望を伝えました。「今回の主訴である過食嘔吐については、どうお思いですか」と、セラピスト(カウンセラー)がたずねると、一瞬母親の表情が暗くなりました。
聞くと、多美さんの過食嘔吐を治すために何度か診療内科に行ったり、学校のカウンセリングを受けたりしたそうです。結局この2年あまりの治療で、多美さんの過食症は治りませんでした。そんな体験から母親には「過食症は、治らない病気や」という思いこみが強くありました。
「そんなことはありません。淀屋橋心理療法センターでカウンセリング治療を受けられた過食嘔吐の多くの人たちは、克服しておられます。学校にもどられたり、職場で元気に働かれてたりしておられます。親御さんにも、多くのアドバイスや課題をさしあげますので、しっかりとついてきてください。お母さまの熱意と頑張りがあれば、過食症は克服できますよ」と、セラピスト(カウンセラー)は母親に力強く語りかけました。
母親の頑張りで父親が変わり、多美さんが部屋から出てきた
母親は必死で頑張りました。セラピスト(カウンセラー)のアドバイスを守って、言葉がけ一つにも気をくばって。「吐くな!」と怒る父親にも「お父さん、それは言わないほうがええんやで。多美の過食症がよけい悪くなるよ」と、勇気をもって言っていきました。父親は初めのうちは「なんや、オレに意見する気か。あんたもえろうなったもんやな」と、母親に嫌みを言っていました。しかし母親が言うようにしていると、だんだん多美さんの様子がよくなってきたのです。
ふた月ほどして多美さんはひきこもっていた自分の部屋から出てきて、居間で家族といっしょにテレビを観るようになりました。「お父さん、今年の阪神つよいね」「ほんまやな。あとでガタッとこうへんかなー」と、父親と多美さんのあいだで短い会話も交わされたりするようになりました。
こんな多美さんの良い変化に、父親もしだいに母親のアドバイスに耳を傾けるようになってきました。
更なる良い変化・・・過食嘔吐の回数が減ってきたり、食べた後始末を自分でしたり
それでも父親は、時には忘れたように口やかましく過食嘔吐のことを言っていました。「また食べとんかいな」「吐いたあと、もっときれいにせんとあかんやないか」「なんやその細い体。自分で見てみいや」とか。セラピー(カウンセリング)でアドバイスを受けた母親が、どんなに多美さんが過食嘔吐にふれられるのをいやがっているか伝えても、わかろうとしませんでした。「いや、わかろうとしてもわからない」というのが本音だったようです。「オレは多美のことを思うて、ゆうてるんやないか。それがなんで悪いんや」と、言い返していました。
それでも父親は3回に1回は、母親のアドバイスに耳を傾けていました。するとやはり過食症にも変化がでてきたのです。多美さんの過食をする回数が一日3回から1回に減り、吐いたあとトイレをきれいに掃除したりするようになりました。「あんたの言うように、多美このごろようなってきたな。その淀屋橋心理療法センターへオレもカウンセリング受けに行って、アドバイスもらおうかいな」とまで言うようになりました。
幼少時代は良い子、大きくなったら過食嘔吐、なんでや!
最近多美さんからよく文句やグチがでるようになりました。「文句やグチ、弱音はしっかりと聞いてあげてください。これは過食症の改善にとても大事なステップです」と、両親は前もってセラピスト(カウンセラー)から説明を受けていました。ところがいざその場に直面すると、受けとめることはかなりしんどいことだとわかりました。次はその一場面です。
多美:(無言で父親と母親を交互ににらむ)私は小さいときから勉強もお手伝いも一生懸命やってきたんやで。なんでこんな過食嘔吐に悩まされなあかんのよ。(泣き出す)
母親:ごめんね。ようお手伝いしてくれる良い子やったね。お母さんもほんとうに考えられへんわ。
多美:私、心も体もボロボロなんやで。ほんまは学校行くんもつらいんや。ホラ、見て、この手。ここ固くなってしまってるんや。吐きダコや!(手をだして見せる)
母親:いやー、ほんま。心がしんどい思いしてるんやね。頑張ってるんやね。お父さん、見て、多美の手。
父親:どれ、見せてみーや・・・ほんまやなー。くろーなってる。痛いやろな(ショックを受けた表情)
多美:お父さん、私がどれだけしんどい思いしてるか、わかってるか?それやのに「学校、はよ行け」とかゆうて。私をせかしてばっかりいるやんか!「食べたらあかん」とか「もっと食べろ」とか、言いたい放題で。「吐くな!」言われるのがどんなにつらいか、わからないやろ。お父さんは私を苦しめてきたやんか。私が言いたい事言わずに抑えてきたから、こんななったんやで。ずーっとずーっと抑えてきたんやで。(ワーッと泣き出す)
母親:(背中をさする)そうやな、多美はずーっとガマンしてたんやな。わかるで。お母さんにはわかるで。
父親:(無言でうなだれる)
親を批判したり文句やグチを言い出すのは、過食嘔吐の改善サイン
「多美さんは、過食嘔吐のつらい気持ちを言葉で出せるようになってきましたね。親を無視するとか、物を投げたり蹴ったりとかで怒りや悲しい気持ちを出すのではなく、言葉で言えだしました。これは過食症にとってとても大事なステップです。親への批判、文句やグチは、過食嘔吐の改善サインです。耳を傾けて、ドンドン言わせてあげてください」と、セラピスト(カウンセラー)は父親と母親にアドバイスを出しておきました。
お母さんお父さんに対して、セラピスト(カウンセラー)は次のように説明しました。「多美さんの心の扉がすこしづつ開いてきています。今この気持ちをしっかりと受けとめてあげてください。ご両親への信頼感が芽生えてきた証拠です。必ず過食嘔吐は治る道筋にはいっていきますよ」と、セラピスト(カウンセラー)は力強く説明しました。
「私、このごろね~、がんばって過食がまんしてるんやで」と多美さんは母親に
多美さんが本音で両親に文句やグチを言い出してから、三ヶ月がたちました。今では父親も多美の文句や批判を、しっかりと聞けるようになっています。また父親は腹がたったときは多美さんにぶつけず、こっそりと母親に聞いてもらいなぐさめてもらっています。両親間の協力体制も、徐々にできてきました。
そんな二人の様子をみて、多美さんもなにかを感じとったようです。「このごろね~がんばって過食がまんしてるんやで」と、多美さんは母親に打ち明けました。
「私、忙しくて、過食嘔吐してるヒマないわ」と、信じられない言葉が
それから三ヶ月後、多美さんは不登校を克服し登校できるようになりました。そして一番心配だった過食嘔吐もかなり良くなってきました。学校からの帰りにいっぱい食べ物を買い込んでいたのに、それもしなくなりました。「お母さん、私、学校でみんなといっしょに補習受けることにした。やっぱり大学行きたいし。ええやろ」と、うれしそうに言いました。「うん、ええよ、なあ、お父さん」と、お母さんもうれしそう。「私、忙しくて、過食嘔吐してるヒマないわ」と、信じられない言葉が多美の口からでてきたのは、それから間もなくでした。
これは両親が絶望的な気持ちから立ち直り協力体制をくんで、娘の過食嘔吐をみごとに克服した事例です。