ひきこもり4年で、友から結婚の知らせがまいこんで
晶子は高校はなんとか卒業できたのですが、登校できない日が多くありました。「卒業したら、どないするん。大学いくんか、それとも働くんか。どっちかにせなあかんで」と、母親はなんども晶子に声をかけていました。しかし現実的にはそのどちらも選べなくて、ひきこもりの生活になって4年がたってしまいました。
紹介してもらったカウンセリングに相談に行ったことがあります。しかし晶子のひきこもり状態にはなんの変化もみられませんでした。家でテレビをみたりインターネットをしたりマンガを読んだり。せかしさえしなければ、いたっておだやかな生活ぶりでした。そしていつのまにか4年がたってしまいました。
それが最近になって一つの出来事があり晶子に大きな変化が起こり始めました。高校のときに親しかった友だちから結婚式の招待状がまいこんできたのです。
「お母さん、知香ちゃんっておぼえてる?高校一年のときいっしょのクラスやったやろ」「ああ、覚えてるで。うちに一度遊びにきたことのある子やろ。その子がどないしたん?」「あんな、結婚するんやて。私にも出てほしいんやて」「えー、ほんまかいな。そらええやん。出てあげたら」「なにゆうてんのお母さん、のんきなことゆうて。私が外に出れるわけないやろ」「そうか、あかんか」。母親と娘でこんな会話がかわされていました。
何事もないようにみえた晶子でしたが、この頃からようすが変わりだしました。ちょっとしたことでイライラしたり、母親を責めたりするようになりました。
となり近所の犬の鳴き声や風鈴の音にいらついて
「お母さん、隣の犬、なんであないに鳴くの。うるさいな」と、言い出しました。隣の人の話し声もゴミ収集車の物音も耳につくようです。「もうイライラするな。うるそうてなにも手につかへんわ。一番いらつくのは、風鈴の音や。自分らはえー思って鳴らしてはるんやろうけど、こっちは 耳について、迷惑千万この上なしやわ」。「そやけど『きれいなええ音や』ゆうて、こないだまでゆうてたやないの」「それは前のこと。なんとかしてって、お母さんにゆうてるのに、なんにもしてくれへん」「そないゆうけどな、ご近所のことやから、あんまり角のたつことはねー」「ずーと前からそないゆうてそのままや。優柔不断や。ほんまになに考えてるんや。他人のことばっかり気をつかって、自分の子どものこと、もっと真剣に考えてくれんとあかんやないの」と、晶子は矢継ぎ早に母親を責めてきます。果ては「私がこないなったんもお母さんらのせいや。責任とってよ」と言い出しました。
困りはてた母親は父親と相談して、かかりつけの内科医に淀屋橋心理療法センターを紹介してもらいました。そこでまず両親二人だけのカウンセリングを受けることになりました。
面接で、両親の口から「晶子の悪いところばっかり」の報告が
今までのいきさつを話してもらい、晶子自身についてくわしく聞く段になりました。話しやすいように晶子には待合い室に出てもらって、両親だけの個別面接の状況をつくりました。「お父さんかお母さん、どちらからでもけっこうです。晶子さんについて思っておられることをお話ください。どんなエピソードでも結構ですから」とカウンセラーが聞くと、まず母親から話がだされました。
「先生、もうたまりません。一日中家におりますでしょう。それやのに、文句ばっかり言いますねん、晶子は」と、母親はこう話だしました。「寝る時間が1時2時になるんです。それにテレビの前でうとうとして、つけっぱなしで寝てしまってるし。なんべんゆうてもなおりません。ねえ、あなた」と、同調を求めるように母親は父親の顔を見上げます。「そうですねん。こないだも風呂のふたをあけっぱなしで、あがってましたわ」と、父親も不満というかあら探しに加わります。裏の戸の鍵を閉め忘れてたとか、食事のあと食器を流しに運ばないとか。
「わかりました。それは晶子さんの一面だと思いますが、次回はまた違った面のお話を聞かせてください」と、コメントを言ってその日の面接は終了しました。
見えてきた晶子の「ひきこもりサイクル」
毎回面接のたびにこうした晶子についての愚痴、悪いところが報告されます。親は子どもをよくしようと思ってこうした小さな欠点を指摘するのでしょうが、あきらかに結果をみると逆効果です。両親から欠点を指摘されたあと、必ずと言っていいほど晶子は自分の部屋にひきこもってしまいます。なんどか同じ様な報告がなされたあと、次のような「ひきこもりサイクル」が見えてきました。
ぐるぐるまわる両親と子どもの責め合い
親が晶子の欠点を指摘する → 晶子は負けじと言い返す → 母親が父親をよぶ → 二人で叱る → 晶子が物を投げたり、壊したり → 父親が押さえつける → 晶子泣きながら自室にこもる
カウンセリング面接で晶子が話すと、必ずと言っていいほど父親がコメントをはさみます。「それでね、きのうの夜は「ほうれん草のおしたし」をつくったんです。ね、おかあさん「おいしかった」ゆうてたよね」。「うん、うん」と母親がうなずく横で、父親がぽつんと一言。「ちょっとべたついとったな」。晶子はすかさず父親にたいして敵意の目をむけて「ほっといて。いつも私のすること否定ばっかりしてるやん」と言いました。なごやかだった面接の雰囲気がいっぺんに緊張したものに変わりました。
両親に「良いとこさがし」課題をだしてみた
「あのー、お聞きしていますと晶子さんの悪いところ、愚痴ばっかりですね。どこか良いとこは?」と、カウンセラーたずねました。「えー、良いとこですか?」と二人は顔を見合わせて困った表情。「お父さん、晶子の良いとこってどこですやろ」「そうやな、朝起きるんは遅いし、あんたの手伝いはせーへんし。あるんかいな」と、沈黙が続きます。「良いところですが、あるでしょう」と、カウンセラーは促しますが返事がでてきません。
「これでは晶子のひきこもりは、改善しないだろう」と、カウンセラーは判断しました。そこで課題として「晶子さんの良いとこさがし」を出すことにしました。「毎日5個づつ、お二人であわせて10個、晶子さんの良いところをさがしてください。次回はその報告から面接をスタートしましょう」。「えー、5個も」と、けげんな顔つきの両親を押し切って、カウンセラーはしっかりと課題をこなすよう念押しをしてカウンセリングを終えました。
「良いとこさがし」を三ヶ月つづけたころ、晶子が急に「私もカウンセリングに行きたい」と言い出し、カウンセラーの許可をえて、親子三人でカウンセリングを受けることになりました。
半年後、晶子は母親と買い物に
「お母さん、はやくせんとあかんやないの。バスに遅れるで」と、晶子は玄関で靴をはいてまっています。「なんや晶ちゃん、もう用意できたんかいな。早いな、もうちょっと待っててや」と、母親は急ぎます。きょうはふたりで映画をみて買い物をする予定です。最近はこのように母と娘ふたりで外出することもできるようになりました。長かったひきこもり生活にも明かりがみえてきています。
「良いとこさがし」のアドバイスからはじまって、さまざまなアドバイスを出してきました。ここまでくる間には、夫婦げんかや父親のパチンコぐるい、深酒といった母親の心配事も浮上してきました。その度ごとにカウンセラーはアドバイスをだし、ふたりの調整をしてきました。晶子のひきこもりのカウンセリングだったのに、途中では夫婦のカウンセリングに変わったような錯覚をいだく時もありました。結果として晶子のことでもめることが少なくなり、夫婦の会話が増えました。
気がつくと晶子自身も一人で近くのコンビニに出かけたり、かねての懸案だった歯医者に自分で予約をいれたりするようになっていました。
「すきな歌手の歌きいてると、気持ちが『ふにゃー』とします」
カウンセリングをスタートして、一年近くがたちました。青白い顔をしてどこか緊張した感じがあった晶子ですが、今はみちがえるように明るくなっています。
「ZARDの泉さんの声って大好き。なんかイライラすることあっても疲れてても『ふにゃー』ってほぐれます」とうれしそう。先日彼女が階段からおちて亡くなったニュースをきいて、一晩泣き明かしたそうだ。「あんなに泣いた晶子を見るのははじめてです。変わったなーと思います」と、母親も言っていました。思いっきり泣いてまた立ちあがって、忘れたようにユーミンの音楽をかけたり、切り替えもずいぶん早くなってきたようです。
「あんな、私、フリーターで働きたい」
カウンセリングのようすも変わってきました。以前はいつも否定的なコメントをはさんでいた父親もおだやかになっています。「なー晶子、きのうお父さんの靴磨いてくれてたな。ありがとう」「えー、そんな」と照れ笑いをする晶子。「そやかてお父さん、仕事忙しいのに休んで私のカウンセリングに来てくれるんやもん」と、言いました。なにげない父親と娘の会話が自然な感じで交わされていました。
それから間もなくのことでした。晶子から働きたいという言葉がだされたのは。「あんな、私、働こうって思うねん。バイトっていうか、フリーターでもいいから」と。晶子がよく行くレコード屋さんで「バイト求む」の張り紙がしてあったそうです。「そうか、晶子が行ってみたいんやったら、やってみたらどうや。そやけど一度カウンセラーの先生に相談してみような。許可をいただいてから動いてみたら」と、母親。父親もそばでうれしそうにうなづいていました。
「ひきこもり」のカウンセリングは、親だけでスタートし、最後まで親だけの参加で解決をみることもあります。晶子のケースのように途中で子どもが参加して元気に社会に出ていきだすというケースもあります。
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