2.手首を切るという行為の裏には山のような問題が

子どもの弱い面が家族の援助でどこまで成長できるかが鍵

子どものリストカット(自傷行為)に親は驚かされる。「深く切れてしまったらどうしよう。また切ったらどうしよう」と、不安と心配が先立ち、どうしても腫れ物にさわる対応になる。しかしこれでは現実的な解決は導き出されない。また逆に子どもが再び明るくなると「もうあんなことはしないだろう」と油断し、もとの親に戻ってしまう。ここで紹介する麻紀(高二)の両親も、同じような対応であった。

「リストカット(自傷行為)」という出来事は、航海中に「突然見えた氷山の一角」のようなもの。映画「タイタニック」のように、激突した氷河の下にはその九倍もの氷が潜んでいる。同じようなことが子どものリストカットにも言える。山のような問題の一角を、手首を切るという行為でちらっとみせてくれたにすぎない。これを見落としてはならないサインととって、慎重に専門家のアドバイスを求めてほしい。

「文化祭の委員の責任が果たせるかしら」と不安が

麻紀は今度開かれる文化祭の実行委員に選ばれた。ハキハキと行動的な面がみんなの推薦を勝ち取ったようである。と言えば聞こえはいいが、実は大変な責任が両肩にかかってくる。普通はできれば自分はなりたくない。そんな暇があるのなら、少しでも受験勉強に取り組みたい。二年生の秋ともなれば、そろそろ志望校も決まり、勉強もスタートダッシュの時期である。

「先生によばれたんです。準備はどうなってるの。そんなことでは間に合わないでしょ。あなたは委員なんだから、みんなを引っ張っていってくれないと」と、職員室で叱られた。麻紀にしてみれば、こんなに頑張ってるのに、なんで私だけが」というくやしい思いがいっぱい。また自分の力のなさも痛感させられる。「私たちのクラスは仮装行列をすることになったんです。衣装の打ち合わせもしないといけないのに、昨日放課後残ってくれたのは10人だけ。これでは一週間後にせまった文化祭に間に合いそうもない」。こんな思いに追いつめられて、腕のあたりに赤い線を走らせてしまった。

「無力な自分を許せないの」

セラピストは麻紀に気もちを聞いていった。初めのうちは「疲れてたのか眠くて。眠気をさませるかな」と思ってと、とりつくろうようなことしか言わなかった。「リストカット(自傷行為)をする子はね、とても明るく感じのいい子が多いんですよ。でも本心はその逆。すごく自分を責めている。しんどくてもう限界まできてるんです。麻紀さんはどうでしたか」。こうした本心を察する言葉掛けで麻紀は少しづつ心を開いてきたようだ。「クラスのみんなを動かせなくて、文化祭に間に合わなかったらどうしよう。私の責任だ。無力な自分が許せないの」と、とうとう心の中を打ち明けた。麻紀は包帯をほどいて見せた。赤い傷が痛々しい。縫うまではいかなかったようだが、「傷、残るかしら。ケロイドみたいになるかも」と、不安そうであった。

自分とのつき合い方は上手ですか?

わりとクラスでもポンポン、ハキハキものを言うほうなので、友だちも多い。面倒みも悪くないので、いつもなにかあると「麻紀、話し聞いてくれる」と、相談にこられる。「たしかに学校ではうまくいっているような印象をうけますが、これが本当の麻紀さんの姿でしょうか。お父さん、お母さん、今一度ようく考えてみてください。

親の顔色をみるけっこう気づかいの多い子だったりしませんか。自分の本心とちがうところで動いていませんか?本当の性格とあわない人生を歩んでいると、息切れがしてきますよ。自分とのつき合い方は上手ですか?家族とのそれはどうですか?

セラピストはこの点に集中して質問を重ね、親の危機意識を目覚めさせていった。

文化祭が終わったらだいじょうぶではないですか?

「今は忙しいからこんなことをしてしまいましたが、来週文化祭が終わったら、また落ち着くかなって主人とも話しをしてるんですけど」と、母親は遠慮がちにこう話した。

セラピストは首を横にふりながら、次のように説明をした。「まだおわかりになっていませんね。それは『喉元すぎれば、熱さ忘れる』と、同じようなことにすぎません。これからまた違う困難に直面した場合、麻紀さんはどれだけ多くの解決法を持っているでしょう。多分ほとんどないと思います。短絡的に「手首を切る」というほうへ行かれる可能性は高いですよ。解決策が少ないですから、今この出来事をチャンスととらえ、力をつけていってあげないと。頑なであったり、なにかの価値観にしばられていたり、状況を変えにくいものがあるはずです。そのなかでの解決策が手首を切るということなんです。今まで困難にあたってうまく解決できたという体験の少ないお子さんでは? またご自分に自信がないところがいっぱいおありではないですか? おわかりでしょうか。文化祭が終わったからといって、急に麻紀さんが成長して、たくましくなられるということはないでしょう。まだまだ時間をかけて取り組んでいきませんと」。セラピストの話を聞きながら、両親はようやく本格的に、リストカット(自傷行為)の治療に取り組む決心を固めていた。

2019.04.17  著者:《大阪府豊中市 淀屋橋心理療法センター》福田俊一

               

記事内容の監修医師

淀屋橋心理療法センターの所長 福田 俊一

淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一

  • 医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
  • 日本の実践的家族療法の草分け的存在。
  • 初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
  • その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
  • 著書多数。

シリーズ記事

2008.04.30

1.4.「お母さんが変わってくれたから、リストカット(自傷行為)やめられたんやで」(梨花20)

梨花の場合、リストカット(自傷行為)が止まったのは「母親との関係改善」が決めて 梨花はフリーターで働きだして3年になる。その間、何度もリストカット(自傷行為)を試みている。ひどいときはかなり深く切って、救急車で運ばれたこ […]

2.1.手首を切るのは「助けてほしい」心の叫び

今リストカット(自傷行為)で自分を傷つける子どもが増えている。この症状は、一人一人状況が違うのが特徴だ。ここにあげる事例もその一例としてお読みいただきたい。ここで取り上げた祐子は受験をひかえた高校三年生。「明るい素直な子 […]

3.2.手首を切るという行為の裏には山のような問題が

子どもの弱い面が家族の援助でどこまで成長できるかが鍵 子どものリストカット(自傷行為)に親は驚かされる。「深く切れてしまったらどうしよう。また切ったらどうしよう」と、不安と心配が先立ち、どうしても腫れ物にさわる対応になる […]

4.3.まじめで頑張りやさん、甘えやホッとするもの探しでリカバリー

明るく話していた有香が、手首を切った(高一) 「あのね、きょう先生にほめられたんよ。みんなの前で」と、有香はうれしそうに夕食のあと母親に話した。「数学の試験な、一番やってんて」「え、ほんま、よかったやん」「私、がんばるで […]

5.5.「お母さん、目先のことにとらわれたらダメですよ」(まさ江 24才)

娘の激しいリストカット(自傷行為)に悩まされて まさ江さんは、バーガーショップでフリーターとして働いています。仕事がシフト制で、朝早かったりお昼ごろ出勤したり。母親ともほとんど話し合う機会もないという状態でした。そんなお […]

関連記事

1.リストカット(自傷行為)治療の一年後「うそのようです。こんな安堵の日がくるなんて」

手首を切った。「楽になりたい」と、言って。寝る前は親がいつも包丁やナイフは隠して寝ていたのに、いつのまにか、持ち出していた。「つらいとき、自分を傷つけることでしか乗り越えられないの」と、裕子は言っていた。 一年前は、リス […]

2012.01.13

5.リストカットの切り抜け方が分かって、ひと安心のお母さん(その2)

リストカットの切り抜け方がわかって、ひと安心のお母さん(その1)からのつづき お母さんはドクターからもらったアドバイスをやってみました。あゆ美が「もうしんどい」と言って「ワーッ」と泣き出してくれることを期待していたお母さ […]

3.「明るい自分演じるの、めちゃしんどい」と気がついた(真希17才 高2)

きのうの夜、またはさみで手首を傷つけて 「なんで切るの、なんでこんなことするの?」と、母親は涙ぐみながら真希に聞きました。パニック状態の母親にくらべると、真希はしらっとした感じです。「なんもそんなに深く切ってへんやん。大 […]

記事一覧へ