高校一年、幸香のリストカットのケースです。文化祭の出し物をめぐって対立する生徒たち。幸香は一生懸命取り組んだ課題をリーダーにけなされ、言い争った末リストカットをしました。
文化祭の衣装デザインをけなされてリストカットを
幸香は文化祭の出し物の衣装係に選ばれて張り切っていました。もともとファッションに興味があったし、デザインもいろいろ考えたり描いたりするのが好きでした。ところがグループのリーダーである百合からクレームがついてけんかになりました。一生懸命考えたデザインを一方的にけなされたことが幸香はくやしくてくやしくて。
今までも与えられた課題はどんなことでも一生懸命考えて取り組む幸香です。今回もみんなに喜んでもらえるような発表をしたいとむちゃくちゃがんばって「未来の高校生の制服」という課題に取り組んできたのです。
幸香:このデザインのどこが悪いっていうの?
百合:うーん、なんかマネっぽいのよね、ほらW女子高の制服に似てない?
幸香:どこが似てるのよ!?ちゃんと自分で考えてやってんのに。
百合:うーん、反省ないんだったら、ひょっとして係を代わってもらうかもよ。
幸香が詰め寄ると、百合は追い打ちをかけてきます。幸香は「なんでそんなこと言われないといけないの!百合ってそんなにえらいの!?」と叫んでワーッと泣きだしました。そのあとトイレに駆け込んでリストカットをしたということでした。
リストカットは頑張るタイプの人が多い
幸香は大好きな衣装係になれて喜んでいたのです。「百合やグループのメンバーに負けたくない」、という気持ちが強く渦巻いていました。幸香は「私は誰から何を聞かれても説明できるように、いつでもちゃんと準備してるのよ」と言っていました。だから「ケチをつけられるなんて、とんでもない!」という気持ちが今回も強くありました。
リストカットをする人には「頑張りやさん」が多くみられます。休んだりゆるめたりすることに罪悪感があり、頑張りから降りることができないという人もいます。自分の限界を超えてでも必死で頑張ろうとするところがあり、「切りたーい、死にたーい」という方向へいくことがあるようです。
心配したお母さんがカウンセリングに来所
家に帰ってから幸香はお母さんに泣きながらその時の様子を話しました。カウンセラーはお母さんからその話しを聞きながら、要点をメモしていきました。お母さんの聞き方や言葉のかけかたなどに子どもの心がくみ取れ、子どもが落ち着いてくることがあります。ところが受け答えによっては、子どもの心の傷を逆撫ですることもないとはいえないからです。
幸香:お母さん、百合ったらね、私の考えた制服のデザインがね、マネっぽいって言うんよ。くやしーい!
母親:まー、なんてこと言うの、百合さんは!それで幸香はなんて言い返したの?
幸香:どこがマネっぽいの?私が考えたデザインよ!って言ってやった。
母親:そうか、ちゃんと言い返せたんやね。ほかの人らは、幸香の味方してくれた?
幸香:ううん、みんなだまってた。聞いてるだけだった。
母親:なんでだまってるんや。なんでやと思う?幸香、あんたのセンスはぜったいにいいってお母さんは思ってるよ。もっと胸はって言い返してやろうよ!わかった?
幸香:・・・・・
カウンセラーは「お母さんの言葉がけは、はっきりと娘さんの味方をしておられるので、それが一番大切なことです。とてもいいと思います」とコメントをしました。「ただお母さんがどんどん質問して、子どもがそれに答えるという形が多いですね。子どもは質問ぜめにされると、けっこうしんどいものなんですよ」というカウンセラーのアドバイスに、お母さんは「え、私そんなに質問してますか?」とびっくりしたようでした。
母親からすると子どもとの会話は日常のことなので、どこがいいとか悪いとかふだんから気がつかないでしょう。どの親子にも会話のくせ(パターン)があるものなのですが、専門家から指摘されて初めて気がつくということがよくあります。
その他にいろんなアドバイスを受けてお母さんは、「よくわかりました。娘と話すとき、気をつけて守ってみます」と、ホッとした表情で帰っていきました。
「学校はぜったい行くわよ!」と幸香は頑張りをみせた
明くる日お母さんは幸香が学校へ行かないのではと案じていました。しかし朝起きてくるなり「私、学校はぜったい行くわよ!」と言って、サッサッと制服に着替えています。
顔色も良くないし、しんどそうに足を引きずって歩く娘の姿をお母さんは心配そうに見送っていました。娘の頑張りはうれしいけれどムリをしすぎが目に見えているだけに「また学校でリストカットをするんじゃないかしら」と、心配でたまりませんでした。
リストカットをする人は頑張るタイプの子に多くみられることは前に述べました。それに加え自分に厳しいというか「疲れはてている、弱音を吐きたい自分」を許すことができないのです。「頑張れない自分は自分じゃない」とまで言う人もいます。幸香もどちらかというと、そうしたタイプの女子高生でした。以前担任の先生から「そんなにムリしなくても少し休んだらどうですか」と、言われたことがありました。幸香は、「私、なにもムリしていません。だいじょうぶです」と強気発言で答えたあと、体育館の裏で手首を切っていたということがありました。
ピンチに追い込まれてもリストカットを回避できた
それから一月ほどしてまた同じようなことが学校でおこりました。物理の研究発表で百合と衝突したのです。「あなたの研究は個人的な思い込みよ。データが少ないわ。そんなの役にたたないから」と、ずけずけ言われて。幸香も黙っていません。「私のすること、ほっといてよ。なによ、あなたの研究も焦点ボケしてるわよ」と、言い返してやりました。
今までならトイレでリストカットをしていた幸香ですが、今回は違いました。トイレに駆け込んでケータイを取り出すと「お母さん、あのね、百合ったらね…」と、ワーッと泣きだしながらくやしい気持ちをぶつけました。「そう、そうだったの。よく辛抱できたね」と、お母さんはカウンセリングでもらったアドバイスを守りながら幸香のつらい気持ちを聞いてやりました。しだいに幸香の泣き声が落ち着いてきたので、お母さんはひと安心して電話を切りました。後で聞いたら、リストカットはしなかったということでした。
この報告を受けたカウンセラーは「こんなに早く成果がでるとは」と、驚きました。「お母さん、ほんとうですか。幸香さんがリストカットをしなかったというのは!これは大きな前進ですよ。よくアドバイスを守って受け答えをしっかりとしていただけましたね」と、お母さんの努力をほめました。
リストカット回避にだいじなお手上げ宣言
我慢できないくらいのイライラがつのったり追い詰められたりすると、そこから逃げ出したい解放されたいという気持ちからリストカットに走る人が多くいます。幸香もリストカットにしか逃げ道を見いだせなかったのですが、お母さんにつらい気持ちをぶつけるということができこのピンチを回避できたようです。
もう一歩前進するために幸香に必要な力は、「やっぱり私、しんどいわ。もうやめときます」と言えるお手上げ宣言ができるようになることです。限界を感じたら頑張りから降りることができるのも、リストカット回避には大事な力です。カウンセリングの焦点は、こうして次のステップである「お手上げ宣言」に移って行きました。