健治がひきこもりだしたのは、大学二年生のころからだ。あれから4年がたってしまった。母親はいろんな病院や相談機関へ出向いたが、状態は変わらなかった。友人の紹介で当センターへ来所。カウンセリングを通して母親の話しをきくうちに、担当セラピストは家族のもつ大きな「話し方のくせ」に気がついた。
「お母さん、一度ご家族の会話の記録をつけてきていただけませんか。さりげない雑談でいいのですが。次回までの一週間。なにか改善のヒントが見つかりそうな気がします」。担当セラピストはそういう課題をだした。
「やっぱりそうか」。一週間分の記録を一気に読み終えたセラピストはつぶやいた。日常の雑談レベルだけに家族の自然なようすがよく表れている。母親や妹の思いやりがあふれているような会話ばかり。いったいこの会話のなかに「改善のヒント」となるものが隠されているというのか。
しかし多くの難解なケースを解決してきたベテランのセラピストは、それを見逃さなかった。頭の中で治療プランをたてて、おもむろに面接室のドアを開けた。
さてどんなカウンセリングの風景が展開するのだろう。ちょっと覗いてみよう。
会話1:食卓で
母親:ほら、あったまったよ。たくさん食べて。健治はしちゅうが好きなのよね。
健治:う?まあね。あれ、また人参入ってる。俺、ニンジンきらいなんだけどな。
母親:小さく切ってあるからだいじょうぶよ。それにニンジンは体にいいのよ。
健治:(下をむいたまま — )
真美:お兄ちゃん、あのね、こないだ頼まれたビデオ借りてきてあげたよ。あとで渡すね。
健治:ああ。
母親:ほら、お魚もどう?この魚はね「鯵」っていうのよ。
健治:俺、「ニンジンきらいやから入れんといて」って何度もゆうてるやろ。
真美:お兄ちゃん、あじって、魚偏に参って書くんよ。知ってた?
健治:まあな。
Q:どこにでもある食卓の会話ですが、これのどこに問題点があるのでしょうか?
A:そうですね。健治君が部屋を出てきて家族といっしょに食事をとるようになっただけでも、大きな進歩がみられたんですが、今一歩前進させたいという視点で見ていきましょう。まず健治君の会話が少ないですね。もっと本人が中心となって話しに花が咲くというムードが必要です。
Q:なるほど。確かに少ないですね。でも母親も妹も健治君に気を使っていますよね。家族の愛情を感じますが。
A:おっしゃるとおりです。このご家族の気持ちを、健治君の良い変化に結びつけられるといいんですね。ご家族だけでそのきっかけを見つけるのは、大変難しいことです。カウンセリング面接を通して、第三者のプロの目が適切なアドバイスをみつけていく役割を果たします。
Q:人参のことでなにかひっかかっているようにみえますが?
A:いいところに気がつきました。ここがこの会話のポイントです。健治君は人参がきらいなんですよね。それは小さい頃から何度も母親に訴えてきたことです。でも届いていない。「またか」と、きっと食べる気をなくしてしまったと思います。おそらくこんなことが他のテーマでも多くあるにちがいありません。「子どもの声にしっかりと耳を傾ける」ということが、親にとっていかに難しいかの一例ですね。
Q:どこの家庭にでもよくある、さりげない会話のように思えますが。そんなに引きこもってしまうくらいの問題なんでしょうか?
A:もちろんこれだけが原因というわけではありません。が、決して無視できない要因でもあるのです。別の例を見てみましょうか。より顕著に家族の会話の特徴がみられます。
会話2:僕の部屋に誰か入らへんかった?
健治:お母さん、僕の部屋に誰か入らへんかった?なんかおかしいんやけどな。
母親:いやー、誰も入らへんよ。どないにおかしいん?
健治:机の上のボールペンの位置がかわっとんねん。右側においたはずやのに、いつの間にか左のはしになっとんや。真ん中に本があるから、ひとりでに行くはずない。
母親:そらあんたの勘違いやで。誰も入ってないよ。なんかのひょうしにボールペンくらいコロコロ動くわよ。
健治:真ん中に本おいとうゆうてるやろ。
母親:そんな細かいこと気にしてたら、神経もたへんで。お母さんなんかここに置いた思とうもんが、どっか別のとこにあったゆうの、しょっちゅうやで。なあ、真美。
真美:ほんまや、お母さん忘れっぽいよね。もう歳やで。
健治:そんな問題やないやろ。(むっつりと自室へ)
Q:読んだだけではたしかに健治君は細かい、気にしすぎのように思えますが。
A:ボールペンが右か左かということだけなら、確かにそうです。お母さんもそこしかとらえられていませんね。
Q:この会話のポイントは何でしょうか。すこし詰めていいますと、この家族の会話でどこを改善する必要があるのでしょうか?
A:健治君の最初の言葉「僕の部屋に誰か入らへんかった?」に注目してください。ここにはいろんな複雑な気持ちが含まれているはずです。「自分の知らない間に自分の領域を侵されたのでは」という疑い。「動くはずのないボールペンが、移動している。これはなんでや」という不安。ところがお母さんは健治君の不安感や疑心暗鬼の気もちに気づいていません。ここが第一の大きなポイントになります。第二はお母さんが結論をポーンと言っていますね。「あんたの勘違いや」と。これは「あんたの感じ方がまちがってるんやで」と、同じ意味に健治君には響くことでしょう。
Q:こうした親子の会話は、どこの家にでもみられると思います。そこまで親が子どもに気を使って話さないといけないのでしょうか。
A:たしかに普通の家庭ではこれでいいでしょう。子どもになんの問題もない場合は。お母さんの発言に対して健治君がどんどん言い返せ、自分の意見を主張できるようになれば、そこまで気を使うことはないのでしょう。一日も早くそういう親子関係になるようセラピストはアドバイスをだしていきます。子どもに会話の勢いがついてくれば、自然に行動も広がってきます。