あゆ美は高校一年生です。勉強も部活も一生懸命頑張って、とても良い成績を出していました。先生方の評判もよくお母さんは安心していました。
ところが一つ気にかかっていることがありました。それは「三ヶ月ほど前から、あゆ美がリストカットをしているのではないか?」ということです。お母さんは気になってはいたのですが、はっきりとした確証がないまま日が過ぎていました。
学校から呼び出しを受けたお母さんは
担任の牧田先生から電話がかかってきました。「相談したいことがあるんですけど、一度おいでいただけないでしょうか?」ということです。「相談したいこと」と聞いてお母さんはビクッとしました。「ひょっとしてリストカットのことでは?」と内心ビクビクしながら学校へいくと、先生は次のように話しを切り出しました。
「あゆ美さんは成績もいいし頑張りやさんだし、言うことはないんですが、最近ちょっと様子が変わってこられましてね。授業中とつぜん泣き出したり、机の上に突っ伏してジーとしていたり。教科の先生が声をかけても『だいじょうぶです』と答えるだけだそうで」と、牧田先生は口が重そうです。「それでなんですが・・・来月の修学旅行のことで・・・たいへん言いにくいんですが、あゆ美さんに遠慮してもらえないかということなんです。もし途中でなにかあってもいけませんし」。
先生によると「あゆ美は授業中泣いてしまう。涙が出てとまらない。みんなに迷惑かけるから」ということで、自習室を開けてもらっているということです。しかし気分が落ち着いたらクラスに戻って、という対応がいつまで続くか。クラスの人たちも情緒不安定なあゆ美を心配して、ざわつきだしているということでした。担任としてはまもなく行われる修学旅行のことをどうするか、心配になって母親に一度きてもらったということでした。
思い切って「リストカットしてるんじゃない?」と聞いてみたが
「リストカット」の話しが出なかったので、お母さんはとりあえず一安心でした。しかし楽しみにしている修学旅行を遠慮してほしいという牧田先生の話しをあゆ美にどう伝えたらいいか、気分が重くなります。「こんな話しをしたら、あゆ美ドバーッと切らないかしら」と、不安でいっぱいでしたが話さないわけにはいきません。
母親:あゆ美ちゃん、ちょっと話しがあるの。来てくれる?
あゆ美:あー、牧田先生のことね、どうだった?
母親:あのね、先生がね、「とても疲れておられるようだから、しばらく学校休まれたらどうですか?」って。
あゆ美:(一瞬、顔を曇らせて)え、休むって?学校休むってどういうこと?
母親:うーん、あゆ美ちゃん、さいきん疲れてない?
あゆ美:べつにー。かってなこと言わないでよ。
母親:牧田先生がね、「ちょっとムリかもねー」って言われるの。あゆ美ちゃん、不安定だから。
あゆ美:え、なんのこと?まさか修学旅行のことでは?
母親:そう、その修学旅行のことなんだけどね。
あゆ美:ダメっていうの!私、行けないの!?
母親:授業中泣き出したりして不安定だし。みんなと集団行動ができないとかでね、ちょっとムリかもって。
あゆ美:なによ、その集団行動って?私がかってなことしてるとでも先生言ったの?私、必死でみんなに合わせてるのに、もうこれ以上頑張れないくらい合わせてるのに。
母親:あのね、お母さんもう一つ心配なことがあるんだけど、聞いていい?
あゆ美:・・・なによ。
母親:あんたこのごろリストカットしてない?血のついたティシュがね・・・
あゆ美:かんけいないじゃない、修学旅行と!血ぐらいなによ!(ヒステリックに叫んで)。
あゆ美はとりつく島もありません。修学旅行を辞退してほしいという話しに加え、リストカットという言葉をだしてしまったお母さんは、これでよかったのか判断がつきません。「状況が今よりも悪くなったらどうしよう」と心配でたまりませんでした。
「なんで私だけ修学旅行に行ったらダメなんよ!」とリストカットを
あゆ美は下をむいて聞いていましたが、スーッと立って深刻な表情で自室へ戻って行きました。
心配したお母さんがしばらくしてあゆ美の部屋へ行ってみると、おいおい泣いています。窓のほうをみると血がビューっと飛びちっているではないですか。「あゆ美、なにこれ!あんた、やっぱりリストカットしたのね!」。腰が抜けそうなくらいびっくりしたお母さんは叫びました。「なによ、大騒ぎせんといて」とあゆ美は迷惑そう。「あー、やっぱり切ったんだ。言わないほうがよかったんだ」と、お母さんはショックを受けました。
あゆ美の最近の様子からすると、「修学旅行に行きたい」という気持ちが焦り心に火をつけたのかもしれません。「なんとしても元気にならなくては。学校も休まず行かねば」と、それを目標によけい頑張りに拍車がかかっていたようなところがありました。学校で突然泣き出したり、突っ伏して口をきかなくなったりしたのも、ムリを重ねて情緒不安定になっていたと考えられます。
「もう母親の力では限界だわ。どこか専門の先生に診てもらわなくては」とお母さんは思い、さっそくインターネットで調べたところ、当センターの精神科医がリストカットを専門に診ているということがわかり早速来所しました。
リストカットをする前の心境についてドクターが説明
あゆ美のこれまでの様子を聞いたドクターは、お母さんに次のように話しました。
「リストカットをするというのは、大きな生き方のつまずきかもしれません。「ほっといて」とか「べつに」とか言って悩みがないみたいに言いますが、なんかおかしいんですね。今までの生き方を見直さなくては、という大きな行き詰まりがバックにあるとも考えられます。けれどすぐにはわかりません。このように何ごともない調子で言う場合のストレスは、問題がみえないけれど大きいこともよくあります」。
「先生、それじゃうちのあゆ美に、どうしてやったらいいんでしょうか?このままでは又リストカットをするんじゃないかと心配で心配で」と、お母さんは気持ちが落ち着きません。
Dr:あゆ美さんは頑張りやさんではないですか?
母親:はい、成績もトップクラスでないとがまんできないようで。
Dr:リストカットをするような子は、頑張って頑張って息をぬくということを知らないんです。あゆ美さんにもそんなところはおありではないですか?
母親:はい、おっしゃるとおりです。「しんどかったら、学校休んでもいいのよ」って言うんですけど、『そういうわけにはいかない』と言って、這ってでも行こうとして。
Dr:で、リストカットの傷口は見せますか?
母親:見せないですよ。長袖を引っ張って、指のところまで隠してるんです。こないだ寝てるときに、そっと見ようとしたら、目をさまして怒る怒る。
Dr:そうですか、お母さんにも見せようとしないんですね。
「あゆ美は親にもリストカットを打ち明けないし、修学旅行に行けないくやしさや怒りを親に話そうともしない。黙って自分の胸におさめ、行場のない憤りをリストカットではらそうとしている。これは一番気をつけないといけないタイプだ」ととらえ、ドクターは対策を練り適切なアドバイスを考えるため席をはずした。
「もっと力をぬいて、ゆっくりしたら」と、声をかけてみてください
あゆ美の最近の口ぐせは「修学旅行もあるしな」でした。「あゆ美の好きなTV番組、今晩あるよ」とお母さんが声をかけると、以前は楽しみに見ていたのに「修学旅行もあるしな、テストいい点とらないとね」と言ってスーッと自室へ戻って行ったりしていました。お母さんの目からみても修学旅行を楽しみにして、勉強も頑張っている様子が伝わってきていました。
「リストカットをする子どもさんは、頑張りから降りられない子が多いんです。あゆ美さんもそのタイプのようですね。親御さんのほうからリラックスできるよう、一度『もっと力をぬいて、ゆっくりしたら』と、声をかけてみてください。『わかった、ゆっくりするわ。ほんとうはしんどいの』という返事がでるか、うっとおしそうな顔で『べつにー、疲れてなんかいないよ』と言って、頑張りを続けるか。その様子を次回のカウンセリングでお話しください」と、ドクターからアドバイスがでました。
「しんどいと、力をぬくか」「べつにーと、頑張りを続けるか」この二つの反応は、これからのリストカットが改善に向かうか、それとも徐々にひどくなっていくか、違った方向に行くことがよくあります。さてあゆ美の反応はどっちにでるでしょうか?(リストカットの切り抜け方が分かって、ひと安心のお母さん(その2)へ続く)