摂食障害になったのは頑張り屋の優しい女の子でした1【実話 小説】

摂食障害になったのは頑張り屋の優しい女の子でした1【実話 小説】

仕事の残業で帰りが遅くなった奈々子さんは、急いで家に帰ると、息をつく暇もなくまた家を飛び出していきました。

向かった先は、スポーツジムです。

どんなに疲れていても、週に二度プールで泳ぎます。また、暑い日でも雨が降っていても、家から1キロほど離れた神社までの往復を、毎日必ず走ります。

「細くないと友達がいなくなる」

「痩せていないと生きている価値がない」

そんなことをずっと考えながら、奈々子さんは自分で決めたことは必ず最後までやり通します。

大学卒業後、約10年間務めてきた文具メーカーの会社ではしんどいことがあっても休んだことはありませんでしたし、頼まれた仕事は必ず全て一人でこなしました。

「この仕事は全部奈々子さんがやってよ。もう働いて長いんだから、それくらいできるよね」

上司は言います。

「私はよくわからないから、奈々子先輩にお願いしちゃってもいいですか~?」 後輩も言います。

気が付けば奈々子さんは仕事を大量に抱え夜中にケーキや菓子パンを食べることをやめられなくなっていました。

コンビニに寄っては、たくさんの食材を買い込みました。

「今日全部食べるわけじゃないから大丈夫。
これは明日と明後日と明々後日の分だから。
食べた分は、また走って痩せるから…だから、大丈夫」

自分にそう言い聞かせながら、大量のお菓子が入った袋を両手にぶら下げて、家まで走りました。

しかし、買ったものはその日のうちに全て食べてしまいます。

連日繰り返される奈々子さんの暴食や、食べた後悔で落ち込む様子を見たお母さんは、心配で何度も声を掛けました。

「奈々子、大丈夫?辛いなら、また病院に行ってみようか」

奈々子さんの過食の症状が続いているのは、実は今が初めてではなかったのです。

学生時代から始まった過食は、本格的な治療をしないまま症状が出たり治まったりを繰り返し、気がつけば15年も続いていたのでした。

病院には過去に一度行ったきり。

その後はだましだましに調子の波を渡りましたが奈々子さんを取り巻く環境の変化や悪化によるストレスで、ついに限界が来てしまったのです。

「お母さんと一緒に、今度はしっかりカウンセリングを受けてみようか」

気を遣えなきゃ価値がない

気を遣えなきゃ価値がない

奈々子さんは、子供のころからあまり人に頼らず、何でも一人で出来るしっかり者でした。

しかし気が強いわけでも、自分の意見を主張するタイプでもありません。人に迷惑をかけたくないという気持ちが、人一倍強いのです。

後輩が仕事のミスをしても

「ここ、間違ってるよ。気を付けてね」

…とは言わず、後からこっそり自分でミスを修正しました。上司が無謀な量の仕事を押し付けてくることがしばしばありましたが

「ちょっとこの量は難しいです」

…とは言えず、土日にサービス残業をするのです。

それは奈々子さんにとって、嫌われないための精いっぱいの気遣いでした。

お昼休み、奈々子さんは別の部署の女の子たちと社食に集まり、ランチをするのが決まりです。

「新作のコート買っちゃった♪」
「ケーキバイキングに行きたいから、ダイエットは一旦中止する♪」
「営業課の〇〇さんって素敵だよね♪」

奈々子さんの目に映る女の子たちは、細くて可愛くて、みんなキラキラ眩しく見えました。

奈々子さんは自分から話題を提供することはできず、ひたすら聞き役に回りました。

(その話は本当に面白い?無理して笑ってない?)

内心、自分自身にそう問うこともありましたが、

「私は聞き役でいることで、ギリギリ自分の存在価値を保てていられる。聞き役にすらなれなかったら、私が生きてる意味なんてない」

このような思いを抱きながら、必死に相槌を打ち、楽しんでいるフリをしました。

しかし、どの場所でも自分の気持ちを押さえつけ、気を遣い、我慢した結果は…

上司は奈々子さんに対してますます仕事を押し付けるようになり、更には自分のミスまで奈々子さんになすりつけるようになったのです。

後輩の態度は次第に横暴になっていき、仕事の指示を全く聞きません。

ランチ仲間の女の子達は、そんな奈々子さんの悩みに気づいてくれることはなく、彼女たちの恋の話やファッションの話、仕事の愚痴でワイワイ盛り上がっています。

奈々子さんは、心の中だけでこっそり泣きながら、人前では常に優しく笑っていました。

「誰かに嫌な思いをさせるくらいなら、私は自分が我慢したほうがずっとマシ。気を遣えなきゃ、私の価値なんてない」

私、ちゃんと言えた

私、ちゃんと言えた

当センターでの治療を進めていくうちに、奈々子さんの日常に少しだけ変化があらわれました。

「頼まれていた仕事、期限を少し延ばしていただけないですか?」

上司の前に立ち、やっとの思いで言った奈々子さんの言葉は震えていました。

額から冷や汗が流れうつむきかけていると、上司はため息をつき不機嫌な声で 「…仕方ないな」 と言ったので、奈々子さんは顔を上げてお礼を言いました。

(私、ちゃんと言えた…!これで週末はお休みが取れる!)

仕事の期限を延ばしてしまったことに罪悪感はありましたが、心はスッと軽くなるのを感じます。

奈々子さんは久しぶりに美容室の予約を取り、さっぱりと髪を切りました。その後はお母さんと待ち合わせをし、二人でショッピングを楽しみました。

「こんなにゆっくりするの、いつぶりだろう」
「そうね、奈々子とお買い物できてお母さん楽しいわ」

「お母さん、今日は私がコーヒーごちそうしてあげる」
「あら。じゃあケーキも付けて♡」

喫茶店で嬉しそうにメニューを眺めるお母さんの横顔を見て奈々子さんも嬉しくなりました。

それ以降、奈々子さんは休日出勤を少しずつ減らし、気持ちも変化していきます。

奈々子さんの後輩であるリカさんの口癖は

「だって、奈々子先輩に指示されたから」。

仕事でミスをするたびに、リカさんはそう言って困った顔をしてみせるのです。

上司は奈々子さんを呼び出し
「リカさんに間違ったことを教えないでくれ」
と叱りました。

以前の奈々子さんでしたら、自分の教え方が悪かったのだと思い、おとなしく怒られていました。 しかしそこにも変化が…。

「(上司)さん。私はリカさんに、このように指示を出しました。私の伝え方が悪かったのかもしれませんが、間違ったことは教えていません」

ゆっくり、落ち着いて、奈々子さんが説明すると、上司はプイっと横を向き、

「ああ、そう。ならいいけど」

と言ってバツが悪そうにその場から去りました。

人から責められると、100パーセント自分が悪いと落ち込む奈々子さんでしたが、 自分だけではなく、相手にも落ち度があると思えるように変わりました。

(私、すごい。自分の意見言えるようになってきた)

この時、過食の頻度は2週間に3、4回程度で、以前と比べ徐々に減っていきました。しかしまだ、ストレスが溜まるとお菓子やパンに手を出してしまいます。

(また過食しちゃった。私はどうしてこんなにダメなんだろう)
過食をすると、そんな自分が嫌になり、手が止まらずにまた過食を続けてしまうのです。

自分が「変わった」ということは、自分自身ではなかなか気が付けないことが多くまた、自分に自信をつけるということも簡単ではありません。

もしかして周りの人達ほうが先に、奈々子さんの変化を感じることもあるのではないでしょうか。

ある日、職場の同僚が冗談を言っているのを聞き奈々子さんは小さく「ふふふっ」と笑いました。

するとその同僚は驚いたように、奈々子さんのほうをパッと向くと、

「奈々子さんに笑ってもらえて嬉しい!私、そんなふうに奈々子さんに笑ってもらったの初めてだね」

そう言いながら、周りの人とも笑って顔を見合わせます。

奈々子さんは、心の中がふわっと暖かくなるのを感じました。

(私、いつも仕事をこなすことにいっぱいいっぱいで、心から、ちゃんと笑えてなかったんだな)

日常を少しだけ抜け出す挑戦

日常を少しだけ抜け出す挑戦

「奈々子さん、今日みんなでご飯を食べに行くんだけど、よかったら一緒に行きませんか」

同僚からお誘いがあり、奈々子さんは久しぶりに同じ部署の人達と食事に出かけることになりました。

(行ってもきっと愛想笑いしかできないし、疲れるだけ)
(話すことなんて特にないな)
(私が行ったら、雰囲気を壊してしまわないかな)

奈々子さんは、そんなことを考えて不安になっていました。

その時、カウンセラーが奈々子さんに言った言葉が頭をよぎります。

【想像した不安と現実を比べたら、現実のほうが楽じゃないですか?】

そうなのです。

同僚達との食事を終えて解散した帰り道、奈々子さんはとても楽しい気持ちで歩いているのでした。食事に行く前に不安に思っていたことなど、何も起こらなかったのです。

(なんだか今日はよく笑ったなぁ) (上司とリカさんのこと愚痴ちゃったけど、すっきりした。意外とみんな、親身に聞いてくれたな)

同僚たちは、奈々子さんが上司に仕事を押し付けられていることや、後輩のリカさんに手を焼いていることを知り、心配してくれるようになりました。

これまで、奈々子さんの苦労をわかってくれる人が一人もいなかったので、それは大きな励みになりました。

この時、過食は2週間に2回ほどに抑えることができていました。

奈々子さんの働く会社では年に1度、部署の異動を希望する人のための面接が行われます。

今年も部署異動願いの届けを出す時期になり、まわりはざわざわとし始めました。奈々子さんは今まで一度も、部署異動願いを出したことはありません。

今回は上司や後輩のリカさんに対するストレスがあまりに大きかったため、奈々子さんは願いを出そうか悩みましたが、

「嫌なことから逃げるみたいで」
「周りにどう思われるか心配」

そんな気持ちや、

「辛いことを我慢することで成長できるかもしれない」

という期待があり、なかなか前へ踏み出す事が出来ずにいました。

しかし、上司とリカさんが二人で起こした仕事のトラブルがきっかけとなり、とうとう我慢が出来なくなった奈々子さんは部署異動願いを出す決意をします。

異動の希望を叶えるためには、数回ある面接をクリアしなければなりません。

奈々子さんは、言いたい事をしっかり面接官に伝えようと決め部署でのストレスや問題点をノートに書いてまとめました。

また、お母さんに協力してもらい、面接での話し方や伝え方を何度も練習したのです。

(もしダメでも、その時はその時。やるだけやってみよう)

部署異動願いを出す人は毎年大勢いるので、希望が通ることは確実ではありません。

そして奈々子さんは、同僚に背中を押されたことにより、もう一つの挑戦をしました。

それは、難しいとされる社内昇進試験のテストです。

今までも何度かテストを受けるチャンスはあったのですが

(落ちたとき周りに知られるのが恥ずかしい)
(どうせ私なんか受かるわけない)

と、初めから受けずに諦めていました。しかし今回は違います。

奈々子さんは、持ち前の頑張り屋な性格と真面目さを生かし、試験の勉強に励みました。

すでに受かっている先輩にも自分から声を掛け、アドバイスを求めました。

「もしダメでも、その時はその時。やるだけやってみよう」

です!

奈々子さんは、少しだけ強くなった自分を信じ部署異動願いの面接と、昇進試験を受けました。結果は、どうなるのでしょうか?

また、治療が新たな段階に入ってくると、新たな問題も浮かび上がってきます。

それは、見ないふりをしてきた、親友「ともちん」に対する怒りや矛盾でした。

摂食障害はそう簡単に完治するものではありません。様々な問題により、再び大きな波がやってきます。

【つづく】

2021.03.30  著者:《大阪府豊中市 淀屋橋心理療法センター》福田俊介

               

記事内容の監修医師

淀屋橋心理療法センターの所長 福田 俊一

淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一

  • 医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
  • 日本の実践的家族療法の草分け的存在。
  • 初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
  • その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
  • 著書多数。

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