
Profile
手記を書いてくださった方
佐々木愛さん【仮名】
36歳 女性
17歳頃から過食嘔吐を繰り返し、長い間苦しみ続けました
現在ご結婚されていて、二児のお母さんです
愛さんが淀屋橋心理療法センターに初めて来られたのは、30歳前後の頃です
そこから徐々に過食や嘔吐することは減り、現在過食症の症状はほぼありません
今回、愛さんは摂食障害についてご自身の経験や当時の思いを、手記として書いてくださいました
※本来、淀屋橋心理療法センターのカウンセリングは「ご本人抜き・親御さんがメイン」のカウンセリングをおこなっておりますが、このケースは例外で、カウンセリングの中盤からご本人が来られていました
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手記をお読みになる前に・・・
この手記は、摂食障害を経験されたご本人さんが、ありのままの思いや出来事を書いてくださったものを、個人が特定されないよう一部を変更し掲載させていただきました
テレビドラマのような波乱万丈大げさなものではなく、
「食べる・食べない、食事に関して悩むだけ」というような単純なものでもない…
リアルな摂食障害(過食症や過食嘔吐)についての「日常」「思い」「苦しみ」などを、この手記を通して多くの方に知っていただけたら幸いです
摂食障害手記~私の心境の変化と、過食症が治るまで~
過食症の始まり
ボロボロだった心と体
17歳の頃から過食嘔吐をするようになり、毎食毎回食べて吐くことを続けていました。
お腹に重みを感じると不快で落ち着いていられない…
一般的な食事量がわからない…
お腹いっぱいがわからない…
体が重くなるとイライラする…
なのに、いつも食べ物をいつ食べるか、どんなものを食べるか考えていました。
以前の、普通に生活してしていた頃が15歳ごろで終わってしまったので、それ以降はもう普通に食事をしていた感覚を思い出せないまま36歳になりました。
お稽古の先生からのプレッシャー。
(当時、愛さんは体型維持が大きく関わるような活動をしていました)
知識もなくダイエットを勧められて言われるがままの方法で激減しました。
親も期待していたこともあり、必死で応えようとしていたために、非常に食事に執着するようになりました。
摂食障害だったのは私だけではなく、姉が先になっていました。
地獄のような家庭内。
3姉妹だった私たちは、3人とも心疾患で逃げ場のない毎日に耐えながら、過ごしていました。
食事することがストレスでありながら、大量に食べることで幸福感を得て、吐くことで罪悪感を消していたと思います。
約20年間、摂食障害であることを忘れる日は1日もありませんでした。
どんどん自分がわからなくなりました
何をしているのか、
私をコントロールしているのは自分なのか、
心と体はどこにあるのか、食べたくないのに食べたくなる感覚…
太りたくない!
でも痩せすぎたくない!
絶対に私の決めた体重でなくては許せない!
体型を死守するために毎日吐いていた結果、全て完璧だった真っ白な歯も、胃酸の影響からほぼ全部の歯が虫歯になり、見た目だけではなく心がボロボロになりました。
過食嘔吐の問題を抱えながらの結婚と出産
「私は、誰にも言えない摂食障害の妊婦さん」
それでも、普段の生活は送れる程度に調整はできていたので、出会いもあり、結婚をし、子どもを授かり、家庭を持ちました。
以前付き合っていた彼に「私は過食症である」と話を打ち明けた際、
うまくいかずにこじれてしまったことが何度かあったので、
今の旦那には、付き合っていた頃から私の摂食障害について話した事は一度もありません。
隠れて吐いていました。
「私は子どもを妊娠しているのに摂食障害なんだ」
そのことに何度も自分に腹が立ち、何度も泣きました。
でも旦那には話すべきではないと必死に隠していました。
出産後も大切な赤ちゃんを育てるために、「過食嘔吐はしないぞ!」と意気込んでいましたが、結局初めての子育ての疲れから、過食嘔吐がストレス発散方法になってしまいました。
精神科医には何度か通ったことがあります。
3,4カ所行き、ある病院では薬を処方されてきました。食欲を抑える漢方や睡眠薬。
話を聞くどころか、「薬を飲んで治してください」と言うなんとも理解力のない医者に行ってから、精神科医へ行けなくなってしまいました。
ある病院では、
「その食べたものを吐かずにお腹に置いておくことはできないの?ちょっと溜めてみたら?」
と言われました。
私からすると病気で動けない人に走れと言っているような、
とんでもない勘違い発言をされたこともありました。
また、ある精神科医は、
食事をどれだけした?
何を食べた?
食事ノートに記録してきてね?
買いだめしないでね、買い込むから食べたくなるんだから…
と言われました
そして毎回、何をどれだけ食べたか聞かれる時間になり、行くたびに嫌悪感に苛まれながら通っていたこともあります。
あれこれ考えることが嫌になり、もう何年も何年も、何も考えたくない気持ちから食べ吐きを続けていたように思います。
私はきっと治らないんだ
私はもう元に戻れないんだ
私の本当のことを話せる人はいないんだ
食べて吐くことをやめる気さえしないや
と、突然とてつもなく悲しい思いに駆られて、何度も泣いたことがありました。
人生の分岐点
「摂食障害は頑張って治すものだと思ってた」
心境の変化に気づいたきっかけは、まだ妊娠中だった時、子供服作りのために始めた裁縫です。
これがとても楽しくて、仕事をしていなかった私は暇さえあれば服作りに没頭するようになりました。
周りから作って欲しいと言われるようになり、出産後半年ぐらい経ってから、小さなオンラインショップを立ち上げて、コツコツ作っては売れるようになりました。
食べ物のことを考える以外にも、
「次は何を作ろう?)「あの店にはかわいい布がある!」
「我が子にはこんなものを作ってあげたいなぁ」
など、心躍るようなワクワクする気持ちが少しずつ湧いてくるようになりました。
何年か経ち、作るものが子供服ではなく、別のもので本格的に仕事として縫製を続けるようになりました。
毎日子育てが忙しかったですが、その中でも、作りたいものは絶対に作る!という情熱がありました。
寝る時間を削ってでも作っている日もあります。
ふと気がつくと、
「あれ、食べる時間ないわ。もう寝ようかな」
と疲れ果て、食べることより寝ることを優先する自分に気がつきました。
次の日の朝も子育ては待ったなしに始まるので、食べることがすっかり後回しになっていきました。
以前、食べたいものが食べたい時に食べれなかった時は、ストレスで自分が抑えられないほどでした。
しかし今は、やりたいことや、作りたいものをイメージしてワクワクすることが何よりも子育ての息抜きになりました。
私が作ったものが周りからも認められるようになって、こんなに楽しいことでお金を稼ぐことができるなんて…!
楽しくて楽しくて、暇さえあればずっと考えるようになりました。
生活の中でものすごく大きかった過食嘔吐の存在が、だんだんと、自身の才能を伸ばすために努力したいと思う気持ちによって、小さくなっていったように思います。
摂食障害は頑張って治すものだと勝手に思い込んでいた
ので、気がつくとやめている自分に出会えるとは想像もしなかったことです。
過食嘔吐を繰り返した私の現在
当時、苦痛だった治療法とは
何十年も1日に2、3度必ず嘔吐していた重度の過食嘔吐だった私が、
今では「お腹いっぱいでこれ以上は必要ない」
と言う感覚や、
空腹でもストレスなく落ち着いていられる感覚を感じることができます。
体にとって必要なものを食べたいし、
無理して制限することもない、
体の声に従って運動したり、お食事したりすることが、当たり前の感覚になりました。
むしろこんなことも無意識のうちに戻っていました。
精神面でもすごく安定し、あれこれ不要なことを考えない分、クリエイティブなものがどんどん頭に浮かんできます。脳内にも他のことを考えるスペースができたようです。
治すぞ!と焦点を当てる治療法は、私には苦痛でしかありませんでした。
福田先生にお会いしてからは、特に摂食障害の事には触れられず、どんなことを頑張っているか、どんなことをすればうまくいくか、など、ポジティブなことを話していただきました。
夢を実現するためには精神的な自立が必要で、自分をコントロールしなくては到底叶いません。
情熱が自己実現へ傾いたとき、私は摂食障害からゆっくりでも確実に離れていくと感じています。
愛さんの手記は以上になります
ここからは、手記に関する考察や、あとがきになります
摂食障害(過食症)に“焦点を当てない”治療?!
手記の中で愛さんは、「治すぞ!と(摂食障害に)焦点を当てる治療法は、私には苦痛でしかありませんでした」とおっしゃっています
「暴飲暴食しないように我慢しないと…」「もっときちんと食べないと…」「食べても吐かないようにしないと…」など、「××しないと…」と常に摂食障害のことを頭の中心に置き、我慢したり罪悪感を抱いて生きるのは、とても苦しいですね
かといって、それを無視することなんてできません
そのような板挟みの苦しみに対して、どのような治療が愛さんにとって良かったのか、淀屋橋心理療法センター所長・福田俊一の言葉を借り、解釈させていただきました
摂食障害の治療の場合、そのことばかり考えてしまうと、深みにハマってしまう場合が多いです
摂食障害そのものを解決しようとするより、今抱えている他の悩みを解決しようとすると、摂食障害本体もいつの間にか治ってしまった、そんな体験ができることがあります
では、「他の悩み」とはどのようなことでしょうか?
それは、手の打ちようがある、大小さまざまな現実的な悩みです
手記を書いてくださった愛さんの場合、それは、ご自身の仕事についての悩みや、旦那さんやお子さんについての悩みでした
愛さんには摂食障害以外にも色々な悩みがあったからこそ、それについて悩んだり、考えたり、誰かに伝えたりするきっかけがありました
摂食障害が、つかみどころのない迷宮のような悩みだとすると、
仕事や人間関係などの悩みは現実的な悩みです
現実的なテーマに焦点を当て、それに向き合うための試行錯誤は、いつの間にか愛さんの心を成長させ、強くさせたのだと思います
生きる土俵が、摂食障害しかないのは少しキケンです
悩みが多いことは、一見とてもつらいことのように感じると思いますが、意外なところで摂食障害の解決のきっかけとして、プラスのスパイスになっている場合が多くあるようです
あとがき~愛さんの手記を読んで~
手記を書いてくださった愛さんは、現在も半年に一度ほど、当センターのカウンセリングに通われています。今は、摂食障害でのご相談ではなく、ご自身のお仕事の事やご家族の事についてなど、色々な事をお話してくださいます。
愛さんに手記を書いてもらうことをお願いしたのは、愛さんが、ご自分の気持ちを語られるのがとても鮮明でわかりやすく、素直で面白い視点をお持ちの方だからです。
愛さんにとっての「摂食障害」とはなんだったのか?
摂食障害を通して、世界はどのように見えていたのか?
それを知りたいと思いました。
手記の中で愛さんは、「摂食障害は頑張って治すものだと勝手に思い込んでいた」と考えていました。
普通は、そう考えるのが一般的です。
多くの心の病気は、ほっといても勝手に出て行ってはくれません。
しかし、愛さんはご自身の経験として
「気が付くと過食嘔吐をやめていた」
「無意識のうちに戻っていた」
とおっしゃっています。
その驚きと不思議な感覚を、「なぜそうなったのか」ということをふまえて丁寧に考え、表現してくださっています。 愛さんが実際に経験された感覚だからこそ、伝えられることだと思います。
また、「治すぞ!と(摂食障害に)焦点を当てる治療法は苦痛だった」
ということが書かれた点は、多くの人にとって、共感できる言葉だったのではないでしょうか。
様々な摂食障害の治療法があると思いますが、その治療法が合うか合わないかは人それぞれです。
愛さんのように「摂食障害だけど、摂食障害に目を向ける・向き合うことが苦痛」そんな人もいます。
「わたしにとっての摂食障害」
それは千差万別で、同じものはありません。
今回の手記は、そのたくさんの摂食障害の中の一つとして、
一人でも二人でも、誰かを勇気づけるきっかけとなれば良いなと思います。