【カウンセリング開始時 11歳(小学5年生の終わり)】
小学5年生の始めから、裕太郎君は不登校になりました
お母さんと一緒に教室のドアの前まで行ってはみたものの、たくさんの同級生の視線を感じると「やっぱり帰る」と言い、教室の中には入れず・・・
「学校へは二度と行かない!」と大泣きすることもあったそうです
「大人を大人だと思っていない」「親を親だと思っていない」
カウンセリング当初、お母さんが言ったセリフです
担任の先生に注意されると反論し、親に対しても激しく反発
素直に言うことを聞きかない、とてもこだわりの強い、頑固な性格です
一方で、同じ市内に住む、母方のおじいちゃんとの関係は良好
「お父さんと同じ家にいたくないから、僕はおじいちゃんの家に行く」
と、頑なにお父さんを拒み、おじいちゃんの家で暮らし始めてしまいます
「裕太郎を好き勝手にさせるな」と、お母さんを責めるお父さん
「親がしっかりしないからこうなるんだ」と、お母さんを責めるおじいちゃん
「お母さんの育て方が悪い!」と、お母さんを責める裕太郎くん
絶体絶命、四面楚歌の状態で、お母さんはカウンセリングを開始されました
※このケースは、お子さんご本人にカウンセリングをするのではなく、お母さんにカウンセリングをすることで解決したケースです
淀屋橋心理療法センタースタッフ
当センターの事務総合・SEO関連・HP作成を担当しています
淀屋橋心理療法センターライター
主に摂食障害や不登校、ほのぼの日記などの記事を執筆しております。
目次
今回のインタビューでは、淀屋橋心理療法センタースタッフの戸塚・湯浅が、木村裕太郎くんのお母さんに取材させていただきました
木村裕太郎くんのお母さん(以下、【お母さん】)
インタビュアー戸塚(以下、【戸塚】)
インタビュアー湯浅(以下、【湯浅】)
―― まず始めに
カウンセリングのご卒業、本当にお疲れ様でした
ここまでこれたことへのお母さんの思いやお気持ちをお聞かせください
【お母さん】 もう、最初の始まりは本当にひどかったので…(笑)
やっとやっと普通のところまでこれたなって、思っています
裕太郎が、自分の将来や未来のことを考えられるようになって、本当に良かったなと思います
私自身、しんどい時期がずっと続いていましたが、やっと、ちょっとは楽になったかな?
当時お母さんは、裕太郎君に関する問題(不登校、友人関係悪化、親子関係悪化)と同時に、旦那さんとの問題や、近くに住む祖父母(母方の)との問題、裕太郎君の幼い兄弟に関する問題など、家族を取り巻く様々な悩みを多く抱えていました
―― 裕太郎君が良い方向に変化し成長していく過程の中には、つらい思い出などもたくさんあると思うのですが、印象に残っている“しんどかったな~”と思う事はありますか?
【お母さん】 しんどかった事は、どこにも頼れなかったことです
友達に相談したとしても、きっと相手もすごく困るだろうなっていうような内容なので、「どうしたらいいと思う?」と意見を求めることもできなかった
でも自分で考えても、どうしたら良いのか答えがわからない
本当に誰にも頼れないし、家には小さな子供(裕太郎君の幼い兄弟)もいるから、あっちにもそっちにも手がかかるし…
周りの家族達(旦那さんや祖父母など)は、みんなそれぞれワーワーと言いたいように言って、やりたいようにやるんです
どんどん状況が悪化していく
あっちでは「ああしろ」こっちでは「こうしろ」って、みんないろんなことを言う
裕太郎は裕太郎で「それは嫌だ」「あれは嫌だ」って
みんながみんな、キーーーー!!となっている状態で、困りました
私もみんなと一緒になってワーワー言っても、まとまらないし、結局なんの解決にも向かわない
みんなの板挟み状態…
それもしんどかったですね
最悪な状況に、家族達みんながみんな「もう困った!お手上げ!」となっていて、「じゃあここで折り合いつけて、こうしようか」という落ち着いた話ができなかったです
―― “家族のまとまり“について、しんどかったという印象が強いですね
「裕太郎君の問題」というよりも、「家族全体の問題」としてつらい思いをされていたのですね
【お母さん】 そうですね
裕太郎ひとりだけの事だったらまだ良いのですが、裕太郎のことが起点となって、家族みんなの悪いところがどんどん出てくる出てくる…
裕太郎のおじいちゃんもおばあちゃんも出てくるし、父親もだし…
みんなそれぞれ、裕太郎の事がうまくいかないと、カ~~!っとなって怒る
怒っても結局何の解決にもならないのに…
私も一緒になって「あ~!腹立つ~!」と思うことも多々ありました
みんながみんな、怒りに任せて変なパワーを持ったまま、収まらない状態が続くのはつらかったですね
誰かが「こうしたら?ああしたら?」って解決策を言っても、みんな全っ然聞く耳持たないので(笑)
―― 家族みんな、別の方向を向いていたのですね
【お母さん】 そうです、みーんな、ばらばら
別の方向を向いていました
あっちではこうしたい…こっちではこうしたい…
別にそれをしてもいいんだけど、あっちがこうすると、こっちは「こうじゃない」と言ったり、その都度問題が起こる
裕太郎は裕太郎で、おじいちゃんやお父さんの事を、自分の都合に合わせて怒ったりわがままを言ったり甘えたり、うまく使い分けるんですよ
裕太郎に「そうじゃないよね、それは違うよね」と言っても全く聞く耳を持たない状態でした
―― 壮絶、というか、家族の状況が本当に大変だったんだなというのが伝わります
たくさんの波を乗り越え、そういう状況が少しずつ良い方向へ変化していかれたと思うのですが、印象に残っている“嬉しかった事”はありますか
【お母さん】 嬉しかった事…
1番大きかったことは、やっぱり裕太郎と父親が、顔を合わせられるようになった事ですかね
(※ 裕太郎君は一時期、お父さんと距離をとるために、おじいちゃんの家で暮らしていました
また、自分が自宅にいる間は、お父さんを家から追い出すよう、お母さんに指示していました)
家族として、みんなで一緒に同じ部屋で過ごせることが、嬉しかったです
普通は当たり前の事なんだと思いますけど…
家族の状態をそこまで持ってこれた事が、第一段階だったのかなと思います
それと、家族の問題が少しおさまってからは、裕太郎が自分の進路の事を考えるようになってきました
「塾に行こうかな」とか言い出して
裕太郎が未来を見据えて自分でやっていこうと意識し始めたので、私はとても嬉しかったです
【お母さん】 父親は裕太郎に対して強い希望がありました
「あぁなって欲しい、こうなって欲しい」「あれはだめ、これはだめ」と…
裕太郎は一人目の子という事もあって、父親的にはそういう希望のようなものが大きかったと思います
だけど最近は半分諦めているというか、「言ってもしょうがない」って悟ってきたみたい(笑)
“放っておく”ことが出来るようになったのも、ひとつの(父親の)成長なのかなと思います
―― お父さんも変わってきたのですね
【お母さん】 父親は色々言うけれど、裕太郎本人は全く聞かない
ある程度の年齢になってきたらやっぱり言い聞かせるのも難しいですよね
半分呆れてるというか、諦めてるというか、そんな感じ
「もう知らん!」って(笑)
―― 淀屋橋心理療法センターには、お母さんだけでカウンセリングを受けておられる場合も多いのですが、木村さんのご家庭も、お父さんはカウンセリングには参加されていなかったですよね?
【お母さん】 はい、私だけでした
―― お父さんはカウンセリングに参加されていたわけではありませんでしたが、お父さんも裕太郎君のことでたくさん苦労し、悩まれていたのですよね
お母さんが、板挟みになりながらも裕太郎君とお父さんの間に入って良い方向へ進むよう、うまく対応されていたという印象もあります
裕太郎君の成長には、お父さんの頑張りも大きく手助けになったと思うのですが…
【お母さん】 父親も本当に大変だったと思います
怒りや不満を発散する場所も、なかったと思います
だけどやっぱりそこで投げ出してしまったら何も変わらないので…
あーだこーだ不満を言ったり言われたりしながらも、色々な事をみんなで耐えましたねぇ(笑)
―― お母さんの、お子さんへの対応の仕方がとても上手だと聞いております
これからカウンセリングを始める親御さんに対して、コツや、気を付けたほうが良い事などがあれば、教えてください
淀屋橋心理療法センターのカウンセリングは、親御さんの対応(カウンセリングで身に着けていただく、お子さんへの会話や対応の仕方)が、治療の効果を高める上でとても重要になってきます
対応は、少し特殊であるためお伝えしてすぐに身に付くものではありません
カウンセリングを重ね、お子さんの状態を細かく把握しながら、より精度の高い対応を、親御さんがカウンセラーと一緒に作り上げていきます
【お母さん】 私、最初の頃は、余計な一言をポッと言ってしまうことが多かったんですよ
するとそれが発端となって裕太郎が怒り出し、30分…1時間…永遠に文句が始まるんですよ
そうしたらもう、オワリ(笑)
やりたかった用事も全く進まなくなって、私がだんだんイライラしちゃう
良い話なら聞いていても「あぁ楽しいな」と思うのですが、文句を聞くほど苦痛なものはないですし(笑)
そんな失敗を何度か繰り返して、カウンセリングでアドバイスを聞きながら、裕太郎に合った対応を少しずつ身に着けていきました
なにか口を挟みたくても、とにかく、「待つ、待つ、待つ!」とか、そんな感じ
―― 対応に慣れていないうちは、ちょっと間違っちゃったなぁ、とか、言わなきゃよかったなぁ、みたいな言葉を言ってしまうこともあったのですか?
【お母さん】 「それは違うよね?」って、つい正論じみたことを言ってしまったり、裕太郎がめちゃくちゃなことを言っていると、「はぁ・・・それ言って何になるの?」とかって、口を挟んでしまっていました
するとやっぱりね、「はぁ?!何なん?!!」「お母さんだってそうやろ?!!」って裕太郎がババババー!!っと怒ってくるので、なんかもう疲れたなぁ…今度こそ、もう何も言わないぞ…って後悔したりしました そんな事の繰り返し
何か少しでも気に入らないことを言われたら、もう、ドワーーー!!って、すごい勢いで攻撃してくるのでねぇ…本当に大変でした
―― 淀屋橋心理療法センターでのカウンセリングは〝お子さんとの会話や接し方を通して治療していく″という独特な方法が印象的ですよね
「親子の会話や接し方で本当に子どもは良くなるの?」と疑問に思ったり、受け入れにくいことはありませんでしたか?
【お母さん】 「そんなやり方で…?」とは思いました
最初、淀屋橋心理療法センターに来た頃、裕太郎の状態はとても大変で…
「もう!どうしたらいいんだよ!!」と言う気持ちで来ていたんです
自分でもどうしたらこの状態を改善できるか、抜け出せるかがわからなかったので「とりあえずやってみようか」という気持ちでした
最初は「どうなんだろう?」と言う気持ちで何となく言われたようにやっていると、裕太郎が何とか少しずつ落ち着いてきているかな?と感じたので、「信じて続けてみようかな」と…
―― 淀屋橋心理療法センターで、カウンセリングを続けられた理由はなんでしょうか?
私(親)だけでカウンセリングに通えたことも、理由の一つとして大きいです
周りには、不登校になった子を支援してくれる所は色々あったのですが、必ず子供を連れて行かないといけなくて…
だけど裕太郎本人は、「そんなところ通いたくない!」「俺は別におかしくない!」の一点張りで、全く動こうとしなかったので、連れて行くことが難しかったんです
子どもを連れて行かなくても受け入れてくれるところがないかと色々と調べ、淀屋橋心理療法センターを見つけました
〝本人が来なくてもいい″というカウンセリングのやり方をしていたのはここしかなかったと思います
やっぱり、行きたくないと言う子どもも多いと思うんですよ
〝決まった日時に子どもを連れて行く“ということが、まずお母さんにとっての大きなストレス
本っ当に、至難の業ですね
私(親)だけで通えるカウンセリングが、うちには合っていました
―― 淀屋橋心理療法センターにカウンセリングに来ることに対して、裕太郎さんは「お母さんどこに行くねん?!」などと不信感を募らせたり、文句を言われたりした事はなかったのですか?
最初の頃、ここ(淀屋橋心理療法センター)にカウンセリングに行っている事を、裕太郎にはあまり具体的に伝えていなかったんです
「いろいろ話があってね…お母さんの相談をしてくるね」
という程度には伝えていたかもしれません
だからまぁ、「どこかに相談してるんだな」という事くらいは薄々感じていたとは思うのですが、別にそれで文句を言ったり「行くな」と言ってくることはなかったですね
裕太郎本人のことをこれだけ詳しく話されていると知ったら「行くな」と言ってきたかもしれませんが…(笑)
先生から裕太郎宛にビデオメッセージをもらって、聞かせたことがありましたが、裕太郎は「何なん・・・」みたいな感じで、ツンツンしていましたよ(笑)
―― お母さんは、たった一人でコツコツとカウンセリングに通い、とても苦労されていましたよね
当初、裕太郎君のおじいちゃんや旦那さんの事でも、大変だったと聞いております
家族のみんなが違う方向を向いていて、理解してもらえないお母さんは板挟み状態でしたよね
そのような状況の中、どうしてここまで頑張ってこれたのですか?
あはは(笑)
本当にそうですね、もう大変でしたねぇ(笑)
裕太郎はずっと家から出ないし、私は家の中にいても苦痛でした
裕太郎が自分の部屋から降りてくると、ずっと嫌なことを言われ続けました
裕太郎には小さな弟がいるのですが、その弟に汚い言葉を浴びせられるのも嫌だった
だからもう私はなるべく家にいたくなかったんです
ちょっと距離を取らないと…ずっと家にいたらしんどくなってしまうなって思っていました
だけどコロナも流行っていたから、出ていく場所がどこにもなくて…
児童館とかもその頃は行けなかったし…
ここ(淀屋橋心理療法センター)にカウンセリングに来ることは、ある意味気晴らしみたいなものでした
ここまで来るのも遠いので大変ですが、少しの間裕太郎と離れられる事は、私の中で大きかったと思います
毎回、小さな弟を一緒に連れてくるのは大変だけど
「電車でお出かけしようか」「窓の外、なにが見える?」なんてお喋りしながら向かうのは楽しかったです
電車でのんびりお喋りをしながら淀屋橋心理療法センターへ向かい、予約の時間まで待合室でちょっと一息つく
カウンセリングが始まると、先生と一緒に現状を確認して、「この時、こうだったな」と振り返ったり
日々バタバタバタっとしてるので、先生から出される課題をこなすのもすごく大変だったけど、状況を振り返ったり再認識することがわりと得意になりました
電車で来て、一息ついて、カウンセリングを受けて…
「また来月」そして「また来月」…というのを繰り返しました
当時「裕太郎と離れていたい」と思っていたのは、正直な気持ちです
一緒にいると、つられてしんどくなることも多かったので
なので少し遠くに離れている間は息抜きになって、ちょっと私は幸せでした
―― カウンセリングに来る事を〝息抜き″と考えた事があまりなかったので、驚きとともに、カウンセリングというものをそんな風に思っていただけるのっていいなぁと思いました
やっぱりお友達に話しても、困らせてしまうかもしれないし、みんなアドバイスなんて迂闊に言えないと思うし…
なかなか話せる場所がなかったので
だから、ここ(淀屋橋心理療法センター)に来て話ができることや、往復の長い道のりを小さな弟と過ごす時間は、リフレッシュにもなるし、また頑張ろうと思えたりしました
自分ひとりで突き進んでしまっていたら、今よりもっとややこしい事になっていたでしょうし、今より何倍もしんどかったと思います
―― まわりに頼れる人がいない中で、裕太郎さんと向き合い、たったお一人でカウンセリングを長く続けることは簡単なことではないと思います
「お母さんにとって息抜き方法はなんですか?」とお聞きするつもりでした
まさかここ(淀屋橋心理療法センター)に来ること自体が息抜きだったとは・・・
考えもしませんでした
カウンセリング自体を息抜きだと思える位、逆にいうと、お母さんにとって本当に本当に大変な日々だったということを実感しました
【お母さん】 今、裕太郎には“進路”という考えるべきことがあって、自分の将来の選択がだんだん近づいてきています
進路や将来についての話題が、私と裕太郎の話すきっかけにもなりました
タイミング的に、とても良いチャンスだったと思います
裕太郎が今の(進路を考える)タイミングじゃなかったら、こんなふうに色々話せていなかったかもしれません
良いタイミングで、カウンセリングに通う事ができたのかなって思いますね
―― 裕太郎君が進路を考えるという大きなタイミングと、カウンセリングに通うタイミング…とても良い具合に合致した感じがありますね
【お母さん】 そうですね
多分、カウンセリングも何もしていなかったら、そもそも裕太郎から進路の話なんで出なかったかもしれないし、出たとしても、お互い会話にならない状態だったと思います
なので、なんとかここまでもってくることが出来た嬉しさがありますね
―― この数年間で、裕太郎君の成長はすさまじかったですね
――長い間お付き合いいただきありがとうございます
最後の質問になります
不登校やいじめ、摂食障害や家庭内暴力など、淀屋橋心理療法センターでは色々なご相談があります
お子さんのことで悩み、苦しんでいる親御さん方に向けて、なにかお声をかけて頂ければ幸いです
【お母さん】 最初、自分の子どもが困った状況になってしまった時、お母さんは「どうしよう…」ってすごく焦ると思います
だけど、それがきっかけになって“今まで気が付かなかった子どもの色々な面に気づけたんだ”とプラスに考えてみたらいいのではないでしょうか
「まだこの子が子どもであるうちに、ここで気づけて良かったんだ」と
そう思ってもいいんじゃないかなって…
親が子どもの困難に気づくことができて、「何とかしてあげよう」と思ったことは、絶対に無駄にはならないと思うんですよね
何をどうすればうまくいくかなんてわかりませんが、でも、何もしなかったら絶対に何も変わらない
何か1つでも、わからないけどとりあえずやってみることが大事なんだと思いますね
―― 子ども時代に気づいてあげられなかった、また気づいても行動できなかった、という後悔をしてほしくないという事でしょうか
【お母さん】 そうですね
やっぱり(子どもの生きにくい部分に)気づかないまま大人になってしまったら、そこから変えていくのは難しいと思うんですよ
それはやっぱり、何も問題がないまま普通に成長してくれるのが1番だと思いますよ
だけどこうなってしまった以上「なんでうちの子が…」って思うかもしれないけど、まずは「気づいて良かったな」と思う事が大事だし、何か1つでも、踏み出して行動してみることだと思います
やってみない事にはわからないので
すごく時間がかかるかも知れないし、やってみた事がどういう風に転ぶかはわからないけれど、何かしないことには始まらないので
―― お母さんは、大変な状況の中でもポジティブですよね
ポジティブでい続けられたのは、どうしてですか?
【お母さん】 落ち込んでいても、ロクなことないですもん(笑)
下に落ちようと思ったら、どんどん落ちて行けると思うんですけど、そんな事をしてもやっぱり良いことないですし…
“どうせだめだから”って落ち込んでも何もならないので、元気にいこうと思ってます(笑)
―― お母さんのその明るさが、家族の問題を解決したのかもしれないですね
【お母さん】 裕太郎の問題だけに集中していると本当にしんどかったと思うんですが、小さな弟の育児もありますし、色々な事があるから、なんとか切り替えてやっていこうと思えました
「これもしなきゃ、あれもしなきゃ」っていうのは大変でしたけど、逆にその忙しさが、私にとっては良かったんだと思います
立ち止まるとね、終わってしまうから(笑)
うちには小さい子もいるし、まだまだこの先長いので、とりあえず元気にやっていきたいですね
今回のインタビューは、木村裕太郎君のお母さんと、淀屋橋心理療法センタースタッフの戸塚・湯浅、の3名でお茶を囲みながらお話をさせていただきました
裕太郎君の不登校や、家族の問題…話の内容は、とても軽やかで楽しいものとは言えませんでしたが、終始お母さんは朗らかな笑顔でお話してくださいました
この記事の中で、お母さんは「裕太郎と離れていたかった」と当時の正直な気持ちを教えてくださっています
不登校など、問題を抱えているお子さんをお持ちの親御さんは、もしそんな風に思ってしまう事があっても、なかなかそれを口にできない事も多いのではないでしょうか
しかしお母さんは、その気持ちを正直に自分自身で受け入れ、明るく元気を忘れずにカウンセリングに通われていました
お母さんが、しんどい状況の中でも挫折をする事なくカウンセリングに通い、裕太郎君を救えたのは、その正直さや明るさが大きなポイントになったのではないかと感じました
木村さん、この度はインタビューをお引き受けくださり、本当に感謝しております
湯浅
淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一
医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
日本の実践的家族療法の草分け的存在。
初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
著書多数。