お父さん、お母さん、修平くんの3人暮らし
【カウンセリング開始時14歳 中学2年生】
私立の中学校に合格し、入学して間もなく学校に行けない日が出てきました。中学2年生からは不登校になり、ゲームにのめり込みました そしてその後、主にお母さんに対する家庭内暴力が始まりました。
友達関係は良好で、部活にも楽しく行けていたため、「どうしてこんなことに?」とお母さんも担任の先生も驚かれたようです。
繊細で完璧主義
本来はとても優しい性格の持ち主です
淀屋橋心理療法センターのカウンセラー
主に不登校や過食症のカウンセリングで、高い治療実績を上げております
淀屋橋心理療法センターライター
主に摂食障害や不登校、ほのぼの日記などの記事を執筆しております。
目次
今回のインタビューでは、淀屋橋心理療法センター臨床心理士の福田と、スタッフの湯浅が、相馬修平くんのお母さんに取材させていただきました。
当センターのカウンセリングを卒業されてから、実に5年ぶりの再会です。
お母さんには、当時の現状や思い、また、5年経った“今”について詳しくお話を伺いました。
カウンセリング卒業時にはおさまっていた母親への暴力や暴言
当時は中学生、現在は19歳になった相馬修平くんは、今どうしているのでしょうか?
ぜひ、その現状を知ってください。
―― カウンセリングを卒業されてから、約5年経っておられるのですね。
思い出すのが大変かと思いますが…カウンセリングに来られた当初のことを覚えていますか?
ここ(淀屋橋心理療法センター)に初めて来た当時は、もうおもちゃ箱をひっくり返したような気持ちでした。
どこに何があるの?どうしたらいいの?それどころか真っ暗闇の中にいる感じ…。
右も左も見えない、手探り状態…そんな気持ちでした。
怒り狂って暴れている修平を、まずなんとかしなければいけない。
それだけしか考えられなかった。
修平はものすごくフラストレーションが溜まっていたのでしょうね、とにかく暴力がすごかったんです。
辛かった。
―― 修平くんが暴力を振るうようになる前には、不登校の問題などもあったそうですね
学校に行き始めて間もなく、「何かちょっともうしんどくなってきたわ…」と修平は言いました。
私は、「そんなんまだまだこれからやし、ゆっくりやっていけばいいやん!」。
そんなようなことを言ったのを覚えています
―― 始めの頃って、親は子どもの深刻さになかなか気づけなかったりしますよね
そうなんですよ。
ある時から、修平が学校に行けないことが増えてきました。
え?あれ?何が起こったんだろう?というような状態でした。
急に電気がパッと消えて、おもちゃ箱をひっくり返された感じ。
ぐちゃぐちゃになった暗闇の中に、私たち家族がいました。
深い深い穴に落ちた、そんな状態だったと思います。
修平は、そんな状態の中で1人でもがき苦しんでいたのです。
私はそれを助けるどころか、修平を急かすような事ばかり言ってました。
「とにかく早く学校に行きなさい!」「早くしなさい!」。
って、そういう言葉掛けばっかりしていたんですよ。
まさか修平が、ここまで心がしんどい状態だとは思っていなかったので…。
うまく乗りこなしていける子やと思っていたので…。
私は、修平の深刻さに何も気づいていなかったのです。
―― お母さんが修平くんの状況の深刻さに気付いたきっかけはあるのですか?
きっかけは覚えていませんが、私はある日突然「あれ?違うな…やばいかもしれん…学校に行かせたらあかんかもしれん」と思いました。
もしかして修平と私は、お互いの気持ちにものすごく大きなギャップがあるんじゃないかと思いました。
修平は、「早くこのしんどい気持ちをわかってくれ…!」というサインをずっと出していて、これ以上落ちる所がない位しんどくなっているのに、私は「行けるよ!そんなの…!1時間休んでから行ったらいいやん!」そういうノリだったんです。
学校に行け行け!頑張れ頑張れ!って…。
そしてついに修平は「もう無理や」「もう学校には行けない」となりました。
不登校になってからは、学校に行けないというフラストレーションをぶつけるようになりました。
ひたすらゲームをする、怒り散らす、私に暴力を振るう…。
ここ(淀屋橋心理療法センター)に相談に来たのは、そこからですね。
―― 不登校や家庭内暴力が始まった当時はどのようなお気持ちでいましたか?。
なんだろうなぁ…。
「もう時間がない!早く早く!未来へ進む準備をしてほしい!」って、そんなことばかりを思っていました。
修平は「(学校に)行きたい…行きたいよ…だけど行けないんだよ」。
そんな状態なんですよね。
だけど母親の私からしたら「じゃあ行ったらいいじゃん」と思ってしまうんですよ。
頭の中ではスケジュールをきちんと組んでいて、学校に行こうとしてる、でも、行けない。
今なら修平の気持ちも理解できるのですが、当時はわかりませんでした。
―― 子どもが不登校になったら、お母さんも混乱されますよね。
自分の希望を諦めるというか、学校に行かないと言う選択を受け入れる…。
そういうことが、私の中ですごくつらかった。
プライドが高かったんでしょうね。
子どもが学校に行けなくなって、辞めさせられるかもしれないということが、すごく悔しくて…それを受け入れられなかったんですよね。
それが修平の前でも態度に出ていたのだと思います。
本当に苦しいのは子どもなのに…。
それなのに私は「私が1番不幸や」って、そんな人になっていたんです。
―― 子どもからの暴力…どんなことが辛かったですか?どんなことが怖かったですか?。
本当に、もう、ものすごく怒り狂って…。
もう殺し合いになるんじゃないかと思いました。
私が殺すか向こうが殺すか…そういう状態でした。
私も本当に頭に血が昇って、「そのうち修平を殺してしまうかもしれない」そう思いました。
修平は「殺してやる!!」というような顔で、何か憑き物がついたように迫ってきました。
きっと私たち家族は殺人事件でニュースに出るんちゃうかな?って思いましたね。
もういいや!殺したきゃ殺せ!。
ある程度までいったら、そんなふうに開き直りました。
別に殺したかったら殺していいよ、私もやりたいことやったし!みたいな。
―― “殺されるかもしれない”と思うまでの暴力もたくさんあったのでしょうか?。
本当にもうね、馬乗りになって殴る、アザができる位殴ってくる、そんな状態でしたね。
主人もあばらが折れていたんですよね。
そのぐらい激しかったですね。
―― 中学生といえども、かなり壮絶な暴力だったのですね。
そうですね。
でもね、加減してるなと思う時もあったんですよ。
元は、優しい子ではあったので…。
カッとなったら、スイッチが入って暴れだすんだけど、何秒かしたら、ふっと戻る。
「やべえ、お母さんが死んじゃう、これ以上やっちゃあかん」
どんなに暴力が怖くても、修平からはそういうものを感じていました。。
元が優しすぎるんでしょうね。
だから神経がしんどくなっちゃうんでしょうね。
そんなふうに思っていました。
―― 修平君は、お母さんに暴力を振るうことについてどのように感じていたと思いますか?
「こんな息子でごめん」「叩いてごめん」と言うことがたまにありました。
「わかってるんだけど抑えられなかった」と…。
「こっちもごめん、言い過ぎたかもしれない」と私も言って、お互い「もうやめような」と言い合ったりしました。
そういうことを本当に何回も何回も繰り返していました。
🌸インタビュアーが感じたこと🌸。
当時の暴力についてのお話しくださった内容は、とても壮絶で苦しいものでした。
しかし、話してくださるお母さんの表情はとても穏やかで、時には笑いもありました。
壮絶な家庭内暴力は、すっかり「過去」のものになったのだということを感じます。
―― 淀屋橋心理療法センターでは、子どもではなく親がカウンセリングに来ていただいて、子どもへの対応などを学んでいただきますよね。
カウンセリングを始めた当初、当センターの治療のやり方について、とまどいや疑問などはありませんでしたか?。
いやもう、毎日が必死だったんですよね。
だから、ちょっとしたの蜘蛛の糸でもいいから掴みたい、そのような気持ちでした。
とりあえずやってみようと思っていました。
どうなるかわからないけど、とりあえずやってみるしかない!って…。
だから、特に「このやり方で大丈夫かな?」とか、疑問を感じている暇もありませんでしたね(笑)。
そりゃ、やってすぐには変化は出ませんでしたよ。
最初の頃は、みるみる変化していく…!という事はないですけど、ちょっとした1個のエピソードが「あら?変わったな」というのはありました。
毎日のように記録をつけていたら、「前はこんな事でもすぐにブチ切れてたのになぁ…ちょっと変わったな…」「だんだん怒る頻度が減ってきたな」とか、そういうことが手に取るようにわかってきました。
修平はちょっとずつ落ち着いてきているなぁって…。
以前はゲームをやる度に暴れていたんですよ。
それがある日突然「俺はゲームに向いていない、ゲームをやっているのは時間の無駄や」なんて言い出したことがあるんですよね。
そこから、怒り狂うということがなくなりましたね。
―― 淀屋橋心理療法センターでは、親子の会話や関わり方をとても重要としていますよね。
私の対応の仕方で、やっぱり相手って変わるんですよね。
なんていうか…誰だってそうじゃないですか。
「これ良かったよ」ってお勧めしても「それ知ってる!そんなん面白くないやん!ふん!」て返されたら、「チッ」ってイライラしちゃいますよね(笑)。
だからやっぱり、答え方って大事なんやなって思いました。
修平に対する私の対応が変わっていくと、お母さんに共感してもらえる、わかってもらえる、って感じたのでしょうね。
修平もちょっとずつ変わりました。
そこから少しずつ、小さな小さな階段だけど、修平は成長していったように思います。
―― お母さんが印象に残っている“しんどかったこと”ってなんですか。
1番しんどかったのは、「何とか怒らせないようにしないと」って、いつも思っていたこと。
もう1つは、外に出たら学生の子が電車に乗ったりしているのを見かけた時です。
それがものすごく辛かったです。
「みんな楽しく学校に行けているのに、なんでうちの子だけ」って、つらい気持ちで見ていました。
―― そのようなしんどいことがたくさんある中でも、嬉しかったことはありましたか。
ふと修平が落ち着いたときに「こんな子どもでごめん」とか言うんですよ。
私は「そんなことないよ」と言ったりしました。
そんな会話ができたときは、もしかしたらこの状況改善できるんかな?って、そんなふうに思いました。
あとは、「おばあちゃん大丈夫かな?」とか、ごくごく普通の会話に戻れる時がありました。
その時は嬉しかったし、ほっとした瞬間でもありました。
―― 今カウンセリングを卒業されて5年経っているわけですが、その5年間で変化したことはありますか?。
卒業してからは、色んなことに興味を持ち出したなと感じます。
卒業当時はゲームをやめて、勉強ばかりしていましたね。
今は、勉強もやってるけど、ピアノも弾いているし、漫画も読んでいる、小説も読んでいる。
あ、ゲームもまたやってますよ(笑)。
ちょっとずつ興味の幅が広がっているんじゃないかなと思います。
―― 昔はゲームばかりしていたとおっしゃっていましたよね。
すごい変化ですね、5年の月日の中で、修平くんが更に成長されたと感じました。
そうですね
当時のことを思い返してみたら、修平と楽しく趣味の会話ができるようになるなんて、全然考えられません。
―― カウンセリングを卒業されてから5年経ち、おそらく良いことばかりが続いていたわけではないと思うのです。
5年間の生活の中で、修平くんの状況が悪くなったり、暴力が再発したり、そういうことはありますか?。
ゲームで暴れることはなくなりましたが、その代わり勉強がわからなくて暴れることはありました。
シャーペンをパーン!と投げたりして、怒りました。
私は「怒りのきっかけがゲームから勉強に変わっただけやんか!」と思ったりしました。
私に勉強なんて聞かれてもわからないのに、「ここ教えて」って聞くんですよ。
「お母さんわからないよ」って言ってるのに、何度も聞くんですよ。
それで喧嘩みたいになったりはしました。
―― 修平くんは怒りながらもお母さんに歩み寄るんですね。
そこの心理は私もわからないんですよね(笑)。
お母さんに頼りたいのか…甘えたい気持ちがあるのか…。
だけど状況が悪くなっても、カウンセリングを受けていた頃の対応の仕方を思い出して、それをやるようにしています。
そうすると、修平はスッと引いてくれるというか、怒りが長引いたりはしなくなりました。
そのうち別の話題に変わったりして、それで2人で盛り上がって…そんな感じでやってます。
―― 今現在、修平くんは当時のことについて語ることはありますか?。
自分が怒り散らしていた事は言いませんね。
だけど…なんて言うのかな、昔にあった出来事はポツリポツリ言うんですよね。
幼稚園位の時、自分が何が嫌だったかということを言ったり。
小学生の時の転校について、「あの時めっちゃ嫌だったわ」と悲しそうに言ったり、「ママはどう思ってたの?」と聞かれたり。
「ママは、あの時こんなこと言ったよ」と言われ、私が「ママ、その時そんなこと言ってたのか、ごめんなぁ」と返したり。
不思議なことに、思い出の回想が、小さな頃からだんだん上がってきています。
以前は幼稚園時代のことを言っていたのが、小学校高学年まで上がってきました。
そのうち、不登校だった中学校時代の話もするのかな?どうやろう?と思っていたら、なんと中学校の話もし始ました。
あんなことが嫌だった、辛かった、って…。
最近では、リアルタイムのことを言うようにもなりました。
「ママ、昨日おばあちゃんちでこんなこと言ったよな」「あんなことを言うのはやめて」とか。
今、修平はやっと現実に戻ってきたなぁって思います。
私に話すことで、小さな頃の嫌だったことを順番にクリアにしてっているのでしょうか。
私も、忘れていることのほうが多いんですけどね。
修平は過去のこと、ずっと自分の中で引っかかっていたんですかね。
🌸お話を聞いて、インタビュアーが感じたこと🌸。
※過ぎ去った遠い過去のことを「あれが嫌だった」「こうして欲しかった」と語るのは、ある意味、自分の感情を人に伝える為のトレーニングをしていたように感じます。
過去に嫌だったことを話す→お母さんがそれを受け入れてくれる→話す→受け入れる→話す→受け入れる…これを繰り返し、自分の話を受け入れてもらえる安心感のようなものを感じていく。
今現在のことを言うのはハードルが高いけれど、昔のことなら言ってみよう…そんな気持ちが修平くんにはあったのではないでしょうか。
昔の感情を吐き出し受け入れてもらうことによって、修平くんは徐々に「今の気持ちを伝える力」がついたのではないかと感じました。
―― 今現在、家族の空気はどのような感じなのですか?なにかエピソードがあれば聞かせていただきたいです。
ある日主人が修平に、コンビニのおにぎりを買ってきたことがありました。
修平が「ありがとう」と言ったら、主人は毎日毎日おにぎりを買ってくるようになったんですよ。
今でも、主人と修平はお互いがお互いに「修平、あれ、ありがとうな」「父さん、これしてくれてありがとう」と、そういうことをすごく言い合っています(笑)。
「ありがとう」と言っているとお互い空気って変わるんですね。
―― 温かいエピソードですね。
修平くんのお父さん、「ありがとう」と言ってもらえたのがすごく嬉しかったのですね。
―― 修平くんご本人のエピソードがなにかあれば、お聞かせいただきたいです。
最近、修平は親知らずがたくさん生えてきました。
私が歯医者に電話すると、「今から来れる?」と聞かれ、修平に尋ねると「すぐに行ける」という返事が返ってきたのでびっくり!。
以前だったら「すぐに行く」ということが絶対にできなかったんですよ。
外に出るなんて、もう一大事!!と言った感じだったので。
5年前なんて、歯医者に行くなんてとんでもなかったです。
今は歯医者も1人で行って、「今日はこんな事を話した」と、先生とのやりとりも教えてくれます。
小さな事かもしれませんが、本当に変わってきてるなと、私はすごく感じます。
―― 淀屋橋心理療法センターでは、家庭内暴力や不登校で困っている親御さんが多く来られます。
そういった親御さんに向けて、何かメッセージがあればお願いしたいです。
うちの子供はゲームばっかりしてる、うちの子どもは暴力を振るう、うちの子どもは不登校…。
そういう、あきらかに目に見える現実があって、そこばかりを見て、絶望したりする。
だけど、この子は何を訴えているんだろう?何がこの子をそうさせてるんやろう?って、大事なのはそこだと、今になって思うことができます。
そういう大事なことを、私はもっと気づいてあげられたら良かったと思う。
必死なんですよね、みんな。
子どもを想うお母さんって、ずっと必死。
自分のことみたいになってしまって、「私が一番不幸なんじゃないか」って思ってしまう。
そういう気持ちになるのは、私も何度も体験したのでとてもよくわかります。
だけど、一番しんどいのは子供なんですよね。
学校に行けないしんどさ、ゲームをやり続けてしまうしんどさ、お母さんに暴力をふるってしまうしんどさ…。
そういうことを認めてあげられたら良かった。
「ゲームしててもいいよ」「学校に行けなくてもいいじゃん」「好きなこと1つでも見つけられたらいいじゃん」。
そういう前向きな言葉がけを、1つでもしてあげたら良かったんじゃないかなぁって、今に思います。
目の前の子どもの現実ばかり凝視するんじゃなくて、もっと一歩はなれて、少し遠くから見ることも大事だったんじゃないかな。
私…人目をすごい気にしてたんですよね。
何か思われてたらどうしよう、近所に何か言われてたらどうしよう、って。
だけど、私の中で何かがパンと弾けた瞬間があって、周りの目も気にならなくなってきて、周りにどう思われてもいいじゃんと開き直れるようになりました。
「皆そんなに気にしてない、人の家のことなんて誰もそんなに興味ない、みんな自分の家の事で必死なんだよ」って旦那に言われて、そりゃそうやなと思いました。
いろんなことを気にしなくていいと思います。
お母さんが子どもの未来に悲観したり、人目を気にして暗くなっていたら、やっぱりそれって子どもにも伝染するんですよね。
それは自分の体験として実感しています。
自分も、子どもと一緒に倒れてたんですよね、あの頃は…。
だけど、これだったらあかん!修平を救われへん!まず自分を立て直して、そこからや!
私の心をまず立て直して、この子を救ってあげなきゃ!それがまず第1やな!という思いでいました。
「お母さんが笑わないと子どもも笑わない」って、昔何かで聞いたことがあるけど、ほんまやなぁと思います。
私が笑えるためには、どうしたらいいかなって、考えるようにしています。
お母さんは、好きなことやっていい、誰に何を思われてもいい。
お母さんだからこうしなきゃいけないとか、そんなこと関係ないじゃないですか。
ここからは、相馬修平くん(の親御さん)のカウンセリングを担当した、臨床心理士の福田俊介からお母さんへのインタビューです。
―― カウンセリングを卒業されてから長い年月が経っていますが、今でも実践していることはありますか。
子どもへの対応や、返事の仕方などはもちろん今も実践しています。
ここ(淀屋橋心理療法センター)に来ていた最初の頃って、「私不幸です」って気持ちが強かったのですが、カウンセリングでは、“私の人生と子供の人生を分ける”“自分を立て直す”ということも学んでいったかなと思います。
―― 月に2度のカウンセリングは、どういう形でお母さんの支えになりましたか。
毎日の生活の中で、ちょっとでも良いことがあると、「こんなことがありましたって、報告しよう」と思いました。
そういうことが、モチベーションというか、報告ができたら良いなって思いながら、毎回来ていました。
先生に「そこは今回よかったですね、悪かったですね」とアドバイスを受けて、他人に言われて気づけることも多かったです。
先生と話すことで、「修平は少しずつ変わっていくかもしれない」という勇気を持てたことも良かったです。
―― カウンセリングによって、お母さん自身はどこが変わりましたか。
「こうしなければならない」という思いが強かったのですが、そういう考え方をやめました。
「どうでもいいやん」と言う考え方に大きく変わりましたね(笑)。
学校に行ってない子がいてもいいやん、好きなことやってもいいやん、に変わりました。
そういう柔軟さができるようになりました。
柔軟さを持つって、本当に難しいことだと思います。
こんなに可愛く育ててきた子が、なんでこんなことになったんや…って、誰だってそんな風に辛くなるじゃないですか。
せっかく良い道を作ってあげたのに、なんでそっちの脇道に行くんだよ…って。
だけど、「高い目標は立てない、今日あの子が笑ってくれたらいい、楽しい会話ができたらいい、外に1人で出れたら花丸!」そんな風に思えるようになりました。
🌸インタビュアーが感じたこと🌸
“外に出れたら花丸!”そう笑顔でお話してくださったお母さん。
当時お母さんは「こうしなければならない」という思いに縛られ苦しんでいたそうですが、徐々に気持ちに変化があらわれました。
「まぁ、いっか」ということが増えました。
子どもが困難に陥ったときの親の対応の仕方は、お子さんの性格や、親子の相性・関係性、それぞれ違うため、必ずしも答えは一つではないと思います。
今回のケースでは、お母さんがこのような気持ちを持つようになることが、結果的に親子の歯車をどんどん合わせ、成長につながっていったのだと感じました。
この子には、どんな対応が正解か?なにを大事にしたら良いか?。
カウンセリングでは、その見極めをすることも重要な役割を担っています。
当時、ゲーム依存からなかなか抜け出すことができなかった修平くんでしたが、今はゲーム以外にも、ピアノ、読書など様々なことに興味を持ち、勉強も頑張っています。
現在、大学進学に向けて毎日勉強に励んでいるとのこと。
日々、家族で笑い合う時間を持ち、「ありがとう」とお互いが感謝し合っている。
…そんな風に暮らしているとお聞きし、嬉しい気持ちと共に、ここまで頑張ってこられた相馬さんご家族のことを一人でも多くの人に知ってもらい、皆さんの「勇気」や「希望」になっていただきたいと感じました。
カウンセリングを卒業され、かなりの年月が経ってからのインタビューとなりました。
そういったことは今回が初めてでしたので、どのような事をお聞きしようか、みなさんが聞きたいのはどのようなことか、様々なことを考え、インタビュー約束の日にちを楽しみにしていました。
5年という月日は、この約1時間のインタビューの中では語り尽くせないほど長く、きっとその間、相馬さんのご家族にはたくさんの嬉しいことや苦労があったのだろうと思います。
修平くんの家庭内暴力は、とても壮絶なものでした。
その家庭内暴力が、なにかのきっかけで再発してしまってはいないだろうか?そんな不安もよぎりました。
しかし話を聞いてみるとそんなことはなく、お母さんはとても明るく楽しそうでした。
「きっと大丈夫」という修平くんに対する信頼感や自信に満ち溢れているように感じられました。。
このインタビューを通じ、たとえ重症の事例であっても、再発を恐れずお子さんを日々成長させることが出来る力が、カウンセリングにはあるのだということを感じていただけたら幸いです。
淀屋橋心理療法センター所長 福田 俊一
医師。精神科医。淀屋橋心理療法センターの所長であり創業者。
日本の実践的家族療法の草分け的存在。
初めて家族療法専門機関を日本で設立し、実践、技法の開発、家族療法家の育成に貢献した。
その後は、摂食障害、不登校、ひきこもり、うつ、家庭内暴力(子から親へ)、リストカット等の家族療法の開発に尽力している。
著書多数。